[緘黙] 連合音楽会、その他 [ストーリー]

更新日:-0001年11月30日(投稿日:2007年12月12日)
場面緘黙症(自己診断)とともに歩んできた私の人生を書いています。現在、小学5~6年生編です。

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今年もそろそろ終わりますが、緘黙ストーリーも、小学5~6年生編をそろそろ幕切れにしようかと思っています。

小学校卒業のお話をする前に、いくつか書き残したエピソードがありますので、それらを今回ご紹介します。

■ 連合音楽会事件

小学6年生のとき、連合音楽会というものに出ました。市内の小学6年生が一同に会して学校別に歌声を披露するという、大きな行事でした。

場面緘黙症の私が満足に歌を歌うことなど、できるはずもありません。しかし、私としてはずいぶん頑張って口を大きく開け、私なりに声を出して歌いました。音楽会が終わった後、「自分なりに頑張った。声は出なかったが、周りの子と同等以上に一生懸命大きく口を開けて歌った」と一定の達成感を感じていました。

しかし、その後発売された音楽会の撮影写真を見て、驚きました。どの写真を見ても、他の子に比べて私の口は全然開いていなかったのです。写真を見た母からは、「お前、全然口開いていないじゃないか。真面目に歌ったのか」となじられてしまいました。

私は学校に行くと、声が出なかったというだけでなく、口を開けることも満足にできなかったのかもしれません。
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■ 新入生お出迎え事件

同じく小学6年生のとき、6年生の児童一人一人が、新入生一人一人を学校内に案内するという行事がありました。

学校に行くと極端に大人しくなり、しかも喋れなくなる私に、1年生の相手などできるはずがありません。しかも私に当てられた1年生は、ずいぶんと活発な男の子でした。彼の動きを制止することができませんでした。結局、このときはまともに6年生としての仕事を果たせずに終わってしまいました。

ついでに言うと、この3年後、中学3年になると、今度は近所の保育園で園児の相手をすることになります。ですが、やはり園児の相手は務まりませんでした…。(>_<)

■ 姿勢のいい緘黙症児

場面緘黙児の心理と指導』には、緘動の極度に達して、背中がえびのようになった子の話があります(119ページ)。

私の場合は逆に背中がピンと張った、姿勢のいい緘黙症児でした。この頃から意識して背筋を伸ばすようにしていたからですが、学校に行くと極端に緊張してしまったことも関係していたのだろうと思います。

その後もずっと姿勢を伸ばして席に座る学校生活が続いたたため、いつしか「富重君は姿勢がいい」と褒められるようになってしまいました。大学に入ってからも、「剣道でも習っているの」と聞かれたり、講義室の後ろの座席に座っていた見知らぬ女子学生に「姿勢いいね」と褒められて喜んだりしています。大学卒業後は人と会う機会が少なく、よく分かりません。

■ 場面緘黙症を治すためにどんな努力をしてきたか?

これまで主に書いてきた私の姿は、場面緘黙症という、いわば与えられた条件の中で、どう生きてきたかということでした。

では、自ら主体的に与えられた条件を変えよう、つまり自分の力で場面緘黙症を治そうと努力しなかったのか、と言われれば必ずしもそうではありません(ただ、こうしたことは控えめに書くのが美徳だろうとは思います)。

この頃の私は、学校で話せないことだけでなく、不安が強いこと、極端に緊張してしまうことを問題視していました。しかし、「場面緘黙症」のことは知らず(親も、もしかすると先生も知らず)、自分が学校で話せないのは性格の問題だと考えていました。

そして、私がこんな性格なのは「根性」が足りないからではないかとも考えました(子どもなりにそう考えました)。そのため、体育の授業は、苦手で嫌いだったにもかかわらず、一生懸命やっていました。しかし、こんなことで、場面緘黙症が治るはずがありません。

思い切って声を出してみる練習をしてみようかと思い、試みたこともあります。しかし、これはうまくいきませんでした。そもそも、声を出そうにも出せないのが場面緘黙症です。この方法がとれるようになったのは、私の緘黙症状がだいぶ改善してから、具体的には大学に入ってからです。

今にして思えば、当時の私は、緘黙を治そうとする努力は足りなかったと思います。ただ、緘黙症状があると、自分から積極的に行動する、環境に働きかけるのは、とても難しいです。これは、緘黙が治った今だからこそ分かります。また、学校で話せない症状は、そもそも治そうと努力して治せる類のものかということも、当時の私には分かりませんでした。そして、果たして今の自分を変えるべきなのか、それとも今の自分を大事にしてよいのかという迷いもありました(以上、努力不足の弁解でした)。

いずれにせよ、この頃の緘黙経験は私の大きな劣等感になりました。そしてこの頃から、劣等感をバネに生きる私の人生が始まったのでした。

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