当事者・経験者間の世代間格差?

更新日:2019年11月13日(投稿日:2019年11月13日)
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私と世代が近い経験者たちの話


場面緘黙症の経験者でも、特に発信力が高い方は、私と世代が近い方が多いようです。

彼女ら彼らは、コミックエッセイを出版していたり、シンガー・ソングライターとして活動していたり、緘黙を取り上げたテレビのゴールデンタイムの番組に出演した実績があったりします。

こうした方たちには、ある程度の共通点があるように思います。

○ 緘黙だった当時、緘黙を知らなかった。大人になって初めて知った。
○ 緘黙だった当時、当事者同士とつながりを持つ機会を持てなかった。
○ 緘黙だった当時、適切な支援を十分に受けたとは必ずしも言えなかった。

この3点は、私にも共通します。ですので、この方たちの話には、多かれ少なかれ共感できる部分があります。

やはり私の世代は、緘黙を知らず、孤立し、支援を受けられなかった方が多いのだろうかと思います。

ですが、そうではなくて、当時たまたま支援の輪からこぼれ落ちた少数の方が、大人になって緘黙について積極的に発信しているだけなのかもしれません。なんとなく前者のような気がしますが、どちらかは、はっきり分かりません。


若い当事者はどう感じているか?


こうした方たちの話や、(最近は書いていませんが)私の経験談を、若い当事者は一体どういう思いで聞いたり読んだりしているのでしょうか。

私が目にする若い当事者の多くは、既に緘黙を知っています。ソーシャルメディアなどを通じて、当事者同士つながりを持っている方もいます。適切な支援を受けている方もいるようです。こうした方たちが、私たちの話を、遠い昔の話のように感じてはいないでしょうか。

ですが、いまだに緘黙を知らず、当事者同士のつながりも持てなければ、適切な支援を受けられない方がまだまだたくさんいるかもしれません。こうした当事者は、なかなか私たちの目の前に現れることがありませんが、もし私たちの話を聞いたら、共感するかもしれません。このような方たちが現在多数派なのか少数派なのかは、はっきり分かりません。

「昔の当事者は緘黙を知らず、当事者とのつながりも持てず、適切な支援さえ受けられない人も少なくなかった。昔の人は苦労したんだね」もし、多くの若い当事者にそう思われているのなら、ある意味よいことなのですが。ジェネレーションギャップはあるのでしょうか。

※ 低年齢の緘黙児の場合、大人の配慮により「場面緘黙症」を知らされなかったり、ソーシャルメディアの使用を認められず、当事者同士のつながりを持ちにくかったりする場合はあるだろうと思います。



気になる中国の緘黙支援動向

更新日:2019年10月23日(投稿日:2019年10月23日)
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アメリカの団体と、中国の緘黙関係者の結びつき


アメリカを代表する場面緘黙症の団体 Selective Mutism Association は、海外にも人脈を持っています。世界8ヶ国に、家族、教師、治療専門家を結びつける人材「インターナショナル・コーディネーター」を置いています。

以下は、そのインターナショナル・コーディネーターがいる国です。

アルゼンチン
カナダ
中国
ドイツ
アイルランド
イスラエル
メキシコ
スイス

私が驚いたのは、中国が含まれていることです。中国でこのような団体絡みの活動は、あまり聞いたことがなかったからです。

ただ、最近になって、「中华选择性缄默症协会」という中国の緘黙団体の存在を目にしてはいました。このときのことは、既にこのブログでお話しています。

↓ その記事です。
◇ 中华选择性缄默症协会とは何か
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また、冒頭でお話したアメリカの緘黙団体 Selective Mutism Association も、今年に入ってホームページ上で、中华选择性缄默症协会について言及するようになりました。

↓ そのページです。下の方をご覧ください。
◇ Find A State/International Coordinator | Selective Mutism Association
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そういえば、ついこの間、中国版Twitter「微博」で、ある方がラスベガスで開かれたSelective Mutism Associationの年次総会に参加したと書かれていたのを目にしました。中国の緘黙関係者と、アメリカの緘黙団体のつながりを窺わせます。


イスラエルの専門家が、中国に、緘黙の情報を提供


一方、イスラエルの緘黙専門家 Ruth Perednik氏は2018年に、中国の人を対象に、緘黙に関する情報提供をホームページ上で始めたようです。

↓ そのホームページです。
◇ 4. 关于我们 – 晴心国际
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同氏は「台灣選擇性緘默症協會」とも関わりがある方ですが、ここでお話しているものは台湾ではなく、中国大陸の人を対象とした情報提供です。それは例えば、上記ホームページのリンク集で、「台灣選擇性緘默症協會」ではなく「中华选择性缄默症协会」のホームページを紹介していることなどから分かります。

↓ そのリンク集です。
◇ 6.2 相关网站 – 晴心国际
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英語の本が2冊、中国語に翻訳・出版される


さらに、今年の9月に、Ruth Perednik氏の著書など英語の緘黙の本が2冊、中国語に翻訳・出版されたのを確認しています(記事末尾「書籍リンク」参照)。いずれも簡体字での翻訳であることから、おそらくこれも台湾ではなく、大陸の読者を対象にしたものと思われます。

このように、中国にはここ最近、新たな動きがみられます。日本と近い中国の動きには、今後も注目したいです。





なぜmutismを緘黙と訳すのか

更新日:2019年10月17日(投稿日:2019年10月17日)
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なぜ素直に「無言」と訳さない


akinetic mutismは「無動(性)無言(症)」
cerebellar mutismは「小脳(性)無言(症)」
deaf-mutismは「聾唖」
selective mutismは「選択(性)緘黙(症)」「場面緘黙(症)」

※ 「聾唖」は、今日あまり使われなくなってきている言葉かもしれません。

このように、英語でmutismと呼ばれるものを、日本語ではある時は「無言」と訳したり、またある時は「緘黙」と訳したり、またまたある時は「唖」と訳したりします。

日本語表現の多様さは面白いです。ですが、それだとなぜこのように訳し分けをするのか、その根拠が気になってきます。

特に、selective mutismの場合に「緘黙」と訳す根拠が分かりません。素直に「無言」ではいけないのでしょうか。私には、緘黙も無言も、どちらも意味に大差はないように思われます。実際、稀に「選択性無言症」という訳を見ることもあります。


「緘黙」という訳が使われ続ける理由は?


なぜselective mutismの場合、mutismを「緘黙」と訳す必要があるのか、その根拠を説明したものを読んだことは私にはありません。本当は「緘黙」でも「無言」でもどちらでもよくて、「緘黙」でなければならない合理的根拠などないのではないかと私は見ています。

そんな中、「緘黙」という訳が使われ続けているのには、次のような事情があるのではないかと思います。

○ 慣習。古くから「緘黙」と呼んできたため、それに従っている。

○ これまで「緘黙」という名で認知度向上のための活動が行われてきたため。ここで「無言」と変えてしまうと、また一からやり直しになってしまう。

○ 名称変更は面倒くさいため。「かんもくネット」を「むごんネット」、「緘黙の歌声」を「無言の歌声」、「場面緘黙症Journal」を「場面無言症Journal」などと変えようとすると、煩雑な作業が必要になりそう。

○ 「場面無言(症)」だと語呂が悪い。言いにくい。

○ 要は、わざわざ他の名前に変えても、メリットが少ない。緘黙も無言も同じ意味なら、わざわざ変える必要はない。「無言」の方が読みやすいし、分かりやすそうだが、それでも名称変更のメリットは少なく、デメリットの方が多いと見なされている。


それでも、もし「無言」と訳したら


それでも、もし「選択(性)緘黙(症)」や「場面緘黙(症)」ではなく「選択(性)無言(症)」や「場面無言(症)」という名称に変わったら、どうなるでしょう。

まず、「緘黙」を読めない人はいても、「無言」という字を読めない人はそういないので、「むごん」とひらがな表記する人は減るかもしれません。

また、これまで「緘黙」と略して呼んできた人は、同様に「無言」と略すことも少なくなるかもしれません。なぜなら、単に「無言」と言ってしまうと、病理性のあるものと、普通の人が普通に黙っていることとの区別がつきにくくなってしまうからです。

また、同様の理由で「無言症」と「症」をつける人が増えてくるかもしれません。例えば、「無言自助グループ」だと、「なぜ無言なだけで自助グループが必要なのか」と疑問に感じる人が出てきそうです。それが「無言症自助グループ」と「症」がつくと、「そうか、無言と言っても病理性があるから自助グループが必要なんだな」と納得できます。緘黙も無言も、日本語としてはほぼ同じ意味なのに、不思議です。

※ 中国大陸でも「选择性缄默症」、台湾でも「台灣選擇性緘默症」と呼びます。