Wikipediaページビュー分析

更新日:2021年05月10日(投稿日:2021年05月10日)
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Wikipedia「場面緘黙症」の閲覧数を分析


場面緘黙症は今、どれほど注目を集めているのでしょうか。

それを知る手がかりの一つとして、私は「Google トレンド」というサイトを繰り返し取り上げてきました。

↓ Googleトレンドへのリンクです。
◇ 「場面緘黙症」過去5年間の検索動向
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ですが、他の手がかりとして、Wikipediaの「ページビュー分析」もあります。Wikipediaの各項目のページビュー数(閲覧数)を見ることができるツールです。

ただし、ページビュー数は、Yahoo!やGoogle等で「場面緘黙症」等と検索した結果の順位によって変動するので、注意が必要です。


例。過去5年の月別推移


例えば、Wkipediaの「場面緘黙症」のページビュー数を、過去5年で月別に見るとこうなります。

↓ その分析結果です。
◇ Wikipediaページビュー分析「場面緘黙症」過去5年(月別)
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先ほどの「Googleトレンド」とは逆に、ページビュー数は減少傾向にあるようにも見えます。

2017年3月に突出して多いですが、「Googleトレンド」のグラフと重なります。これは、2017年3月1日に放送された日本テレビ系番組『ザ!世界仰天ニュース』の影響と思われます。


例。過去5年の日別推移


上の表は、「オプション」により、細かい設定を変えることができます。例えば、先ほどは月別に見ましたが、日別に見るとこうなります。

↓ その分析結果です。
◇ Wikipediaページビュー分析「場面緘黙症」過去5年(日別)
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ところどころ、ページビュー数が突出して多い日があります。調べたところ、そうした日の前後には大抵、メディアで緘黙が取り上げられています。

2016年10月13日頃
兵庫労働局が、緘黙がある広汎性発達障害の女性に不適切対応。Yahoo!特集記事が報じる。

2017年3月1日頃
日本テレビ系『ザ!世界仰天ニュース』で、緘黙が扱われる。

2017年10月15日頃
NHK Eテレ『バリバラ』で、緘黙が扱われる。

2018年2月18日頃
NHK Eテレ『バリバラ』緘黙の回の再放送。

2019年9月9日頃
NHK Eテレ『バリバラ』で、緘黙の青年の一人旅。

2019年9月25日頃
緘黙経験者のグレタ・トゥーンベリさんが、国連で演説。

2020年2月3日頃
緘黙がある小6パティシエのお店「みいちゃんのお菓子工房」が開店、メディアに掲載。

2020年2月11日頃
フジテレビ系の夕方の報道番組で、緘黙のパティシエ「みいちゃん」が特集される。

ただ、ここ1年以上の間は、このようなページビューの急増が無くなっています。

メディアで大きく取り上げられることも無くなっています。メディアに関しては、最近は「みいちゃん」頼みの感がありましたが、それも落ち着いてきています。メディアの関心は新型コロナウイルス関連の出来事に向かい、緘黙は取り上げられにくくなってきているかもしれないと感じています。



男性の経験者として

更新日:2021年04月28日(投稿日:2021年04月28日)
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「男性経験者ならではの視点や感性で、場面緘黙症について語ることはできないか」

このようなことを考えることがあります。

男性の緘黙児者や経験者は少なめ


女性の方が目立つ


というのも、男児や男性の緘黙児者は、どちらかと言えば少数派のようだからです。緘黙は女児や女性の方がやや多いようです。例えば、茨城県南部の幼稚園~中学校を対象に最近行われた大規模調査 (n=21,092)では、男女比が1:2.1だったそうです(Matsushita et al., 2019)。もっとも、その比率は調査によって違いますが、大体女児や女性の方が多いと見てよいのではないかと思います。

出版の世界では、緘黙経験者の女性優位が顕著に表れています。紙の本として出版された緘黙経験者の和書の著者は、石川麻利さんさくらかよさんらせんゆむさんモリナガアメさん入江紗代さんと、悉く女性です。

緘黙経験者として日本史上最も露出が高かった人物は、日本テレビ系のゴールデンタイムの番組「ザ!世界仰天ニュース」で取り上げられたカースティー・ヘイズルウッドさんと、入江紗代さんの女性お二方ではないかと思います。視聴率はおそらく10%前後(関東地方)で、実に1,000万人前後の人が、彼女たちのストーリーを見たものと思われます。

一方、男性のテレビ出演者だと、NHK Eテレの「バリバラ」で大阪旅行をした加藤諄也さんが特筆するべき存在ですが、「バリバラ」の視聴率は2016年当時、0.3%程度。加藤さん出演当時は放送時間変更により視聴率が多少変わった可能性も考えられますが、さほど大きな時間変更ではなく、大差ないでしょう。視聴者数は「仰天ニュース」とは全く比べものになりません。

2020年には、CBCテレビ制作による緘黙のドキュメンタリー番組が話題になりましたが、タイトルは「声なき声~場面緘黙症の女性たち」。同年、パティシエで各種メディアで話題になった「みいちゃん」も、女の人です。

沈黙の螺旋仮説」ではありませんが、少数派の意見は言いにくいです。孤立を恐れてしまうためです。それだけに、少数派の男性ならではの視点や感性で発信していきたいと感じることがあるのです。


余談:保護者や専門家は


なお、緘黙児者の支援に積極的な保護者は、大抵が母親です。保護者についても、女性が目立ちます。

ただ、緘黙の情報発信に積極的な専門家は、男性が多いです。例えば、緘黙の本を著したり、本の解説を書いたり、洋書の翻訳で中心的な役割を果たしたりしている専門家は、ほとんどが男性です。一般に、研究職や医師には男性が多く、このことが緘黙関係にも表れているということではないかと思います。女性の社会進出が、この分野でも遅れているのでしょう。なお、これは日本の話で、欧米だと、緘黙の情報発信に積極的な専門家は、女性が目立ちます。

緘黙と性差というのは、難しい


実際のところ、緘黙の当事者や経験者の話を読んで、自分とは考え方が違うな、感性が違うなと感じることは結構あります。もしかしたら、性差が一因かもしれないと思うことはあります。

ですが、これはなかなか難しいです。緘黙と性差というテーマは、緘黙についてある程度深い関心を持つ人なら、いかにも一度は考えたことがありそうなテーマですが、議論は深まっていません。それだけ、深掘りしにくいのかもしれません。

そして、現代では、男がどうの女がどうのと、一括りにして論じにくくなってきています。特に、緘黙関係者は、進歩主義的というか革新主義的というか左派的というか、そういうイデオロギー傾向を持つ人が比較的多いと感じます。こうした人たちは、ジェンダーの問題にとりわけ敏感です。それだけに、なおさら、うかつに一括りに論じづらいです。


とりあえずは、自分が思うところを素直に発信


とりあえずは、自分が思うところを素直に発信していくことだろうかと思います。男性ならではの視点や感性といったものが私にあるとすれば、自分で強く意識しなくても、自然ににじみ出てくるでしょう。

※ 私は学校で長期間話せないことについて、医師に相談したことはありません。このため、緘黙の診断は受けてはいません。





「分かってくれない」という訴え

更新日:2021年04月21日(投稿日:2021年04月21日)
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「私たちのことを分かって欲しい」


場面緘黙症への理解は、私も訴えてきました。放置されている緘黙児者を掘り起こし、適切な支援につなげることが、私の主な目的でした。

ところが、緘黙への理解を訴えている方たちの思いは、それだけではないと感じることがあります。「私たちのことを分かって欲しい」という、どこか悲痛な、願いに似た思いを持っている方が、当事者や経験者の中にいると感じることがあるのです。

この苦しみを分かって欲しいというか、内面を分かって欲しいというか、一般的な緘黙の理解にとどまらないものを求める方もいると感じています。


「分かってくれない」という訴えを掘り下げた論文


これとよく似た「分かってくれない」「理解してくれない」という訴えについて、社会学の観点から掘り下げた論文を見つけました。緘黙の論文ではなく、緘黙には当てはまらないのではと思われる箇所もありましたが、興味深く読みました。

↓ その論文です。滋賀県立大学学術情報機関リポジトリへのリンク。
◇ 中村好孝 (2016). 「分かってくれない」という訴えは何を意味しているのか-当事者の発言と多様な取り組み事例から. 人間文化:滋賀県立大学人間文化学部研究報告, 40, 2-10.
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この論文によると、「分かってくれない」という訴えは、ひきこもり、不登校、自傷、摂食障害、虐待、非行、精神障害、性同一性障害、花粉症など、非常に多様な問題を抱える当事者の間で見られるそうです(2ページ)。緘黙に特有の問題ではないのかもしれません。

また、同じ悩みの当事者には理解されるという特徴があるので、セルフ・ヘルプグループは有効なのだそうです(4ページ)。Twitterで緘黙の当事者や経験者を見ると、「共感しました」というやりとりを目にすることがあるのですが、これには、セルフ・ヘルプグループのように、分かってくれる人を互いに提供し合っている一面もあるかもしれないと思います。

もっとも、分かってもらえさえすればよいわけでもない場合もあるそうです。「理解に対する倦怠」です(6ページ)。論文では、不登校のことをそんなに簡単に分かってほしくはないという貴戸理恵氏(不登校経験者)の主張が引用される箇所があります。これは、私も緘黙に関して感じることがあります。例えば、緘黙が単なるシャイと誤解されて「気持ち分かるよ」などという態度をとられた時です。


「分かってくれない」という訴えは、充足することが原理的に困難


このように、この論文は様々な気づきを与えてくれます。ですが、「分かってくれない」という訴えは、「充足することが原理的には困難」という、賛否が分かれそうなことも書かれてあります(8ページ)。

私は、これは一理あると思います。結局のところ、当事者間でなければ分かりあえないのです。

冒頭でお話ししたように、私が緘黙への理解を訴える狙いはあくまで放置されている緘黙児者の掘り起こしであり、「私たちのことを分かって欲しい」という思いは希薄です。これも、こうしたシビアな認識をどこかで持っているからでもあります。ただ、「分かって欲しい」と訴えたくなる気持ちも、もっともだろうと思いますし、無意味なこととも思いません。