場面緘黙症とトラウマ性緘黙症は違う

更新日:2018年04月22日(投稿日:2018年04月22日)
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場面緘黙症とトラウマ性緘黙症の違い


場面緘黙症とトラウマ性緘黙症(心的外傷性緘黙症)の違いを説明するなどしたこの記事が、海外で好評のようです。

◇ Q and A Cover Reveal: After Zero by Christina Collins
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書かれてある通りで、トラウマ性緘黙症は、災害、事故、虐待といった強いショック体験の後に、あらゆる場面で急に話せなくなるものです。上の記事では、心的外傷後ストレス反応(PTSR: posttraumatic stress response)と説明されています。

一方、場面緘黙症は、学校など特定場面で話せなくなる不安症です。もともと不安が強い子が学校で声をからかわれて話せなくなるといったことなら時にありますが、トラウマ性緘黙症のような強いショック体験が原因で話せなくなることは稀です。


「ハリウッド版緘黙症」


上の海外記事によると、海外のフィクションで見られる緘黙は、トラウマ性緘黙症が多いそうです。似たようなことを主張した方は過去にもいて、「ハリウッド版緘黙症」(Hollywood version of mutism)という造語を残したアメリカの精神科医がいます(Dummit, n.d.)。海外では緘黙児者には何らかのトラウマがあるという誤解がわりとあるようで、このように両者の区別が強調されることがあります。

こうしたこともあって、場面緘黙症Journalでは、場面緘黙症を扱っているとされる海外フィクションを取り上げるのは、これまで慎重に行なってきています。

日本でもフィクションでトラウマ性緘黙症が多いのかどうかは、私には分かりません。強いショック体験の後に話せなくなる子のフィクションはあっていいと思いますが、それがもし「場面緘黙症」という設定だった場合は注意したいです。

なお、冒頭でご紹介した記事は、場面緘黙症とトラウマ性緘黙症の違い以外にも興味深いことが色々と書かれてあります。インタビュー記事なのですが、インタビューを受けた方は緘黙の経験者です。この方は、緘黙がある人物が主人公の子ども向けフィクション After Zero という本を出版されるそうです。





緘黙のレベル--Ruth Perednik氏の講演より

更新日:2018年04月30日(投稿日:2018年04月14日)
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台湾で3月11日、場面緘黙症の講座が開かれたというお話を以前しました。

◇ 台湾の緘黙講座に500名以上参加、大手メディア取り上げる
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その模様を簡単に紹介した動画が、YouTubeで公開されています。



動画は、台湾で緘黙に関わっていると見られる方たちのお話から始まります。

次いで46秒頃からは、講師の Ruth Perednik氏による講演です(英語)。同氏は20年にわたって緘黙治療に携わってきた、イスラエルの心理学者です。

緘黙のレベル


動画は、Ruth Perednik氏のお話のうち、緘黙のレベルの話に最も時間を割いています(1分20秒頃から3分15秒頃まで)。緘黙のレベルについては、同氏の著書にも、ほぼ同じことが書かれてあります(Perednik, 2016, pp.9-10)。

緘黙のレベル (Levels of Selective Mutism)

1 コミュニケーションの欠如 (non-communication)
2 非言語コミュニケーション (nonverbal communication)
3 囁き声や音を出すことによるコミュニケーション (whispering and emitting sounds)
4 言語コミュニケーション (verbal communication)

最後の「言語コミュニケーション」については、これができるなら緘黙ではないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、例えば友達とだけなら話せるなど、これには少しだけ話せる程度のものも含んでいます。

本によると、上の4つの分類はさらに細かく分けることもできます。また、同じ緘黙児者でも、このうちのどれに分けられるかは状況によって変わってきます。


「緘黙のステージ」に似ている?


私は専門家ではないのでよく分からないのですが、この「緘黙のレベル」は、「緘黙のステージ」によく似ていると思います。

「緘黙のステージ」は、アメリカの「場面緘黙症不安研究治療センター」(スマート・センター)によるものです。英語ではSelective Mutism-Stages of Communication Comfort Scaleと呼ぶのですが、日本のかんもくネットが「緘黙のステージ」と分かりやすく訳しています(Shipon-Blum, 2006)。

↓ 英語の画像ファイル。913KB。「スマート・センター」ホームページへのリンクです。
◇ 「緘黙のステージ」を図式化したもの
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「緘黙のレベル」も「緘黙のステージ」も、どちらも非言語コミュニケーションの段階と、言語コミュニケーションの段階に分けて、その間に中間段階を設けていると解釈すると分かりやすいかもしれません。[注]

「緘黙のレベル」は、「緘黙のステージ」に比べるとシンプルです(これに限らず、Ruth Perednik氏の本に書かれてあることは全体的にシンプルです)。緘黙の状態を大雑把に把握するぐらいであれば、シンプルな「緘黙のレベル」が役立つかもしれません。


緘黙の程度


程度も人によって様々


緘黙というと、よくあれができない、これができないといった話になります。例えば、緘黙児者には筆談をすればよいという話もあれば、いや、緘黙児者は筆談もできないのだという話もあります。

ただ、それは緘黙児者にもよるのではないかと思います。中には、少しだけ声を出せるといった場合もあるでしょう。「緘黙のレベル」のように、緘黙にも程度があることを念頭に置くと、このあたりのところが理解しやすくなるのではないかと思います。


スモールステップの取り組みで


また、スモールステップで緘黙に取り組む場合にも、このような程度別の分類は役立ちそうです。全くコミュニケーションが取れない緘黙児者にいきなり言語コミュニケーションをとらせようとするのではなく、まずは非言語コミュニケーションをとることから始めるのです。

ただ、実際のスモールステップの取り組みの際には、もっとステップを細かく分ける必要があるだろうと思います。例えば、イギリスで定番の緘黙治療の本は、1対1のコミュニケーションだけで10段階のステージを示しています(Johnson and Wingtgens, 2016, p.74)。


「緘動」も「コミュニケーションの欠如」として分類できそう


あと、「緘黙のレベル」では、日本で言う「緘動」も「コミュニケーションの欠如」として分類できそうなのが面白いです。動画でも、Ruth Perednik氏は緘動に相当することを話しています。

それにしてもあの動画、500名以上集まる会場の様子は迫力があります。





コンフォートゾーン--不安を感じず、話せる場所

更新日:2017年10月28日(投稿日:2017年07月31日)
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comfort zone


英語圏の場面緘黙症の本などを読んでいると、 "comfort zone" という言葉を時々目にします。

どういう意味の言葉でしょう。The Selective Mutism Resource Manual(『場面緘黙リソースマニュアル』)第2版には、次のような説明があります(Johnson and Wingtgens, 2016, p. 143)。

ほとんどの緘黙児にとって、家は comfort zone です。つまり、緘黙児が自分らしくいられ、のびのびと話すことができる唯一の場所です。

For most children, home is their comfort zone; the one place where they can be themselves and talk freely.

上の説明を借り、comfort という言葉を意識して改めて説明してみると、comfort zone とは、緘黙児者が不安を感じず、自分らしくいられ、のびのびと話ができる場所と言えるのではないかと思います。

私はこの言葉、なかなか面白いと思うのですが、何と訳せばよいのか分かりません。「快適ゾーン」「安全地帯」……どれもしっくりきません。最近出版されたイギリスの本の邦訳『場面緘黙支援の最前線』(新しいウィンドウで開く)』では、「安心できる場所」(90、92ページ)、「安心できる場面」(91ページ)、「安全と感じる場面」(92ページ)という訳が当てられています(Wintgens, 2014/2017. pp. 90-92)。なるほど、もっともです。前後の文脈からしても適訳です。言われてみると、そんな簡単なことかとも思えてきます。

ですが、今回の記事では、敢えて片仮名で「コンフォートゾーン」にしてみることにします。こうすると、「コンフォートゾーン」という一つの概念が存在するように思えて、面白そうです。実際のところ、comfort zone という言葉は英語圏で時々目にすることがあり、半ば一つの緘黙支援用語ではないかなどと思うこともあるほどなので、これも悪くないのではと思います。


「コンフォートゾーン」で話せなくなることも


学校などで話せない少年時代を送った私には、「コンフォートゾーン」という言葉が言わんとしていることは身を持って分かります(ただし、私は緘黙の診断は受けていません)。私の場合、代表的なコンフォートゾーンは家やその周辺でした。一方、学校はコンフォートゾーンの外でした。

ですが、よくよく思い返すと、コンフォートゾーンで話せなくなることや、逆に、コンフォートゾーンの外側で少し話せるようになることも稀にありました。

例えば、小学生の頃、家の前ではしゃいでいたところ、元クラスメイトとばったり会って、急に固まってしまったことがあります。この経験については、コミックエッセイ『私はかんもくガール』(新しいウィンドウで開く)にも、似た話があります(らせんゆむ, 2015, p.19)。近所で母らと一緒に喋りながら歩いていたところ、クラスメイトとばったり会って、それから外を歩くときは「外」と「家」の間のあいまい状態を使うようになったという話です。

↓ その『私はかんもくガール』の一場面。出版社ホームページに掲載されているチラシです。PDF。1.51MB。
◇ かんもくガールチラシ (新しいウィンドウで開く

※ PDFを閲覧するには Adobe Reader が必要です。こちら新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

また、学校で高校受験のための三者面談をした時は、親が側にいたせいか、私は家にいるときの状態に少し近くなりました。学校なのに、家のように話すことが少しできるようになったのです。


「コンフォートピープル」「コンフォートアクティビティー」があってもよさそう


ゾーン(zone)は空間を表す言葉です。ですが、緘黙児者が話せる/話せない場面は、空間のみで限定されるわけではありません。北米では、緘黙児者が示す一般的な発話パターンを「場所」「人」「活動」の三要素に分ける考え方があります(例えば、Mcholm et al., 2004/2007)。緘黙児者がどの程度話せる/話せないかは、これら三要素の組み合わせで決まるものとも考えられます。「コンフォートゾーン」があるなら、「コンフォートピープル」「コンフォートアクティビティー」があってもよいのではないでしょうか。

また、コンフォートゾーンとそうでないゾーンにはっきり二分されるわけではなく、実はその中間のようなものがあるのではないかとも思います。

このように、不安を感じず話せるかどうかは、コンフォートゾーンだけが問題ではなく、「コンフォートピープル」や「コンファートアクティビティー」との組み合わせによるのではないかと思います。また、コンフォートゾーンとそうでないゾーンの境界は曖昧ではないかと思います。

とはいえ、多くの場合、コンフォートゾーンやコンフォートピープルなどはセットではないかと思います。家の中にクラスメイトが入ったり、学校に親が入ったりする場面は少ないのではないかと思います。


片仮名言葉


それにしても、今回の記事は片仮名がやたらと出てきてしまいました。「エビデンス」とか「ワイズスペンディング」とか、片仮名言葉は実はあまり好きではありません。特に「コンフォートピープル」という言い回しは、いまいちのような気がします。

「コンフォートゾーン」などの言葉は、今後はあまり使わないことにします(じゃあ、今回の記事は何だったんだ?)。