約20年前の緘黙オフ会

更新日:2023年04月10日(投稿日:2023年04月10日)
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場面緘黙症に関係する人たちが、実際に集まる--

こうした集まりは多く行われてきました。その形態や規模も様々で、団体が主催するものもあれば、ライブやカフェなどもあります。ここ数年は、新型コロナウイルスの感染拡大という社会環境の変化があり、こうした集まりの開催の在り方が問われる難しい情勢にあるのではないかと思います。

緘黙の集まりは、2000年代前半にも行われたことがあります。当時は緘黙サイトやネット上の緘黙コミュニティが発達して日が浅く、緘黙の団体も存在しなかった頃です。もしかすると、緘黙の集まりとしては最初期のものだった可能性もあります。

このときの集まりは「オフ会」と認識されていました。オフ会とは、オンライン上で知り合った人たちが現実世界(オフライン)で会うことです。

2001年の記録


私が確認できた最も古い記録は、2001年3月7日に行われたものです。日本では初めての緘黙サイトではないかと思われる「ココロのひろば」の日記に「プチ緘黙オフ」の記録がありました。

「プチ」という表現から、オフ会の規模は小さかったものと思われます。その一方で、「根は話ずきな人が多いようだ」という感想が述べられていたことから、それでもなお一定数の人が集まったとも考えられます。参加者は、当事者か経験者でしょう。

残念ながら、この記録が載っていたサイト「ココロのひろば」は閉鎖されています。「Wayback Machine」というサイトを使えば今でも読むこともできるのですが、既に閉鎖されたサイトのページにリンクを張るのは気が引けます。ここは保守的に、リンクを張るのは控えておきます。


2005年の記録


2005年10月9日に行われたオフ会の記録あり、これも古いです。参加人数は4人で、「カラオケボックスで話したり歌ったりして3時間ほど過ごした」という記録があります。

この記録は、現存する最古級の緘黙サイト「場面緘黙症専用」のブログに記載されています。このため、今でも読むことができます。なお、このブログには他にもオフ会の記録があります。

↓ その記録へのリンクです。
◇ 緘黙オフ
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実現しなかったオフ会(2004年)


実現しなかったオフ会の記録もあります。日時は2004年4月16日、浦安駅を集合場所にしたオフ会の呼びかけが匿名掲示板「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)でありました。しかし、当日集合場所に来たのは呼びかけ人1人だけだったそうです。前後のコメントからを読むと、当時は緘黙のオフ会はほぼ行われていなかったことが窺えます。

↓ 当時の2ちゃんねる掲示板へのリンク。過激な広告が出るかもしれないので、ご注意。敢えてリンクは張らず、URLの記載のみにとどめておきます。
https://etc2.5ch.net/test/read.cgi/utu/1055726980/


ゆるやかで自発的な集まりか


以上は私が確認できた範囲の情報です。当時は緘黙関係者の交流はインターネットによるものがほとんどでしたが、ごく一部ではオフでも行われていたことが分かります。

この頃はまだ緘黙の団体がなく、オフ会はゆるやかで自発的な集まりではなかったのではないかと思います。また、3件とも保護者や専門家ではなく、当事者や経験者の集まりだったようです。当時は専門家の緘黙の関心は今よりずっと低く、こうした集まりに関わることは考えられない時代でした。

オフ会は、ネット上での関係でしかなかった人たちが実際に集まるわけですから、参加の判断には一定の慎重さが必要です。とはいえ、ネットとは違ったかたちでの交流には意義もあることでしょう。

現在もあちこちで行われている緘黙の集まりの、もしかしたら最初期のものをご紹介しました。

※ 私は4月10日を「緘黙の輪の日」と呼んでいます。長年緘黙についての動きを見てきた者として、昔のことを伝えたいです。



「緘黙」を題名に使わなかった緘黙サイトたち

更新日:2022年04月10日(投稿日:2022年04月10日)
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最初期の緘黙関係サイトの題名


場面緘黙症Journal。

題名に「緘黙」が含まれるウェブサイトです。こういうサイトは他にもあります。「場面緘黙症専用」という、このサイトよりも古くからあるサイトもあります。

ブログでも、「緘黙」を題名に含めたものがいくつもあります。「カツピコリンの独り言〜緘黙人生〜」などです。ブログ村「場面緘黙症」カテゴリに登録されているブログを見ると分かります。

ただ、最初期、具体的には2000年代前半に開設された場面緘黙症関係の個人サイトは、「緘黙」を題名に使わないものが大半でした。例えば、

ココロのひろば
浮遊
ほほえむ

などです。

ついでにお話しすると、この2000年代初頭期には、ある緘黙の経験者が本を出したのですが、その題名は『君の隣に―緘黙という贈り物』でした。「緘黙」は副題に使われるに止まっています。


なぜ「緘黙」を題名に含めなかったのか


なぜ「緘黙」を題名に含めなかったのでしょうか。その理由ですが、はっきりしたことは分かりません。当時のサイト開設者に聞くほかないですが、なにしろ20年も前のことです。

ですが、当時をリアルタイムで知る身として、次の2つの理由を推測します。

緘黙のみを扱わないサイトが多かった


当時の緘黙関係サイトは、鬱や対人恐怖など、緘黙以外の問題も併せて扱うものが多かったのです(特に、当事者や経験者のサイト)。緘黙に完全に限定せず、もう少し幅広い心の問題を扱ったメンタル系サイトといった感がありました。

これは、緘黙のみならず、他にも何らかのメンタル系の問題を併せ持っていたサイト運営者が何人もいたことによります。

緘黙が知られていなさ過ぎた


当時は、緘黙の認知度がおそらく今以上に低かったです。このため、ほとんど誰も意味を知らない「緘黙」という用語の使用を避けたのかもしれません。

実は、私がそうでした。私も当時、ひっそりとメンタル系サイトを運営していたのですが、この理由で「緘黙」をサイト名に用いませんでした。より多くの人に見て頂くには、緘黙を前面に打ち出すのはやめた方がよいなどの判断があったように、かすかに記憶しています。


その後


こうした傾向が変わるきっかけとなったのが、2004年の「場面緘黙症専用」開設だったように思います。緘黙を専用に扱った個人サイトです。以後、「場面緘黙症Jounrnal」など、「緘黙」を題名に用いた個人サイトやブログが増えていきました。

同時に、緘黙関係者の間で、緘黙に対する意識が高まっていったように思います。こうした意識の高まりを背景としてか、2006年以降、緘黙の団体が日本に誕生していきます。これは一つの進歩と言えます。

ただ、昔の緘黙関係サイトにも学ぶところがあります。今の私たちは、緘黙という概念に囚われすぎてはいないかと。緘黙の当事者・経験者には、緘黙以外にも何らかのメンタルヘルス面の問題を併せ持っている人が多そうです。そのあたり、昔の人は、緘黙のみにとどまらず、自分の問題を上手く全体的に捉えていたように思います。今の人が本当に緘黙に囚われすぎているかどうかは難しいところですが、戒めにはしておこうと思います。

※ 私は4月10日を「緘黙の輪の日」と呼んでいます。長年緘黙についての動きを見てきた者として、昔のことを伝えたいです。



15~20年前の緘黙サイトのアクセス数

更新日:2022年04月10日(投稿日:2021年04月10日)
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アクセスカウンターとは何か


「あなたは○○○人目の訪問者です」

ホームページには、訪問者数やアクセス数を表示するカウンターが設置されていることが稀にあります。これをアクセスカウンターと呼びます。このブログにも、その一種の「Flag Counter」という国旗カウンターが設置されています。

動画サイトでは「○○○回視聴」などという表示がよくありますが、あれは普通アクセスカウンターとは呼びません。

アクセスカウンターは、古いホームページなどに多いです。個人のホームページ作成が盛んだった2000年前後に流行りました。1,000人目の訪問者など、きりがいい数字は「キリ番」と呼ばれ、キリ番をゲットした訪問者は記録して「表彰」するホームページ管理者もかつては多かったです。ただ、管理者の中にはキリ番の申告を強制する人もいて、これはネットモラル上の問題でした(キリ番の踏み逃げ禁止問題)。

「かんもくネット」と「かんもくの会」のホームページにもアクセスカウンターがあったのですが、最近無くなりました。提供元の忍者ツールズが、アクセスカウンターのサービスを3月1日に終了しており、この影響とみられます。およそ15年もの長きにわたって親しまれてきたアクセスカウンターだっただけに、残念です。


緘黙サイトの初期のアクセス数を、カウンターの記録を通じて見る


アクセスカウンターは、初期の場面緘黙症関係サイトにも設置されたことがありました。それらは既に閉鎖されたサイトばかりですが、インターネットのアーカイブWayback Machineを使えば、今でも見ることができるものもあります。今回は、それを見ていこうと思います。

注目するのは、カウンターそのものではなく、そこに表示されている数字です。緘黙関係サイトが昔、どのぐらい賑わっていたかを定量的に把握するのが狙いです。現在、緘黙の当事者・経験者や保護者らによる交流が行われていますが、その源流は、2000年以降に立ち上がった個人の緘黙関係サイトや掲示板での交流であり、その当時のことを調べることには意義があると思うのです。

ここで取り上げる緘黙サイトは、以下の要件を満たしたものです。

○ 2000年代前半頃までに存在し、私が把握している緘黙関係サイト
○ 緘黙の専門サイトとまでいかなくても、少なくとも中心テーマの一つとしているサイト
○ Wayback Machineにより、2000年代前半頃までのアクセスカウンターの数字を確認できるサイト

ただ、アクセスカウンターの数字の読み取りには注意が必要です。例えば、そのホームページにアクセスすればいくらでも回るカウンターもあれば、一定時間(24時間など)以内の再訪問はアクセス数として数えないカウンターもあります。このあたりは、カウンターによってまちまちです。Wayback Machineだと、こうしたアクセスカウンターの違いは確認できません。このため、カウンターの数字は大雑把な目安として見るのがよいだろうと思います。


個々の緘黙サイトのアクセス数


それでは、個々の緘黙サイトのアクセスカウンターを見ていきます。

ココロのひろば(2000年4月10日開設)


113,512アクセス+1ヶ月ちょっと分(2005年12月26日時点)

この時点で、1日平均約55アクセス。ただ、このサイトは移転したり、ミラーサイトを作ったりした歴史があります。そのあたりのアクセス数をどう処理したかが分かりません。

2006年以降のアクセス数も分かるのですが、緘黙サイトの初期のアクセス数を調べるという今回の趣旨にはそぐわないので、省きます。

[URL]
http://www.geocities.jp/cocoro21san/

ほほえむ(2000年10月23日開設)


35,002アクセス(2004年11月25日時点)

この時点で、1日平均約25アクセス。その後、サイトがリニューアルされ、アクセスカウンターの数字もリセットされました。リニューアル後のアクセス数は追いません。緘黙サイトの初期のアクセス数を調べるという今回の趣旨にはそぐわないので。

[URL]
http://www.hohoemu.com/

ふわふわ、とん。(2001年4月1日開設)


22,241アクセス(2002年10月20日~2004年10月9日のいずれかの時点)

この時点で、1日平均約20~40アクセス。

[URL]
http://homepage1.nifty.com/y-toppo/sun2001-frame.html

不登校日誌(2004年2月前後サイト移転)


12.542アクセス(2005年2月11日時点)

サイト移転後にアクセスカウンターが設置され、上の時点で1日平均約35アクセス。

[URL]
http://www3.tokai.or.jp/toyomasa/hutoukou.htm

どの日時でのアクセス数を調べるかが、まちまちだが……


どの時点でのアクセス数を調べるかが、まちまちになってしまいました。これは、Wayback Machineで調べられる日時とそうでない日時があることによります。


結び


万単位のアクセス数を記録した緘黙関係サイトが、いくつもあったことが分かりました。

この数字は多いと言えるのでしょうか、少ないと言えるのでしょうか。SNSがなかった当時、インターネット上の重要な交流の場であり、情報源であった緘黙関係サイトのアクセス数がこの水準というのは、今からすると少なかったと見ることはできるかもしれません。緘黙の認知度が当時、それほど低かったということなのでしょうか。ただ、当時はインターネット人口が今より少なく、その中での数字ということも考えなければなりません。

最後に、勝手に個別のサイトを取り上げてアクセス数を公にしてしまい、当時の管理者の皆さんに申し訳ないです。ですが、今となっては貴重な情報ですし、いずれも大分前に閉鎖されたサイトばかりですので、ご容赦いただければありがたいです。問題があれば、削除致します。

※ 私は4月10日を「緘黙の輪の日」と呼んでいます。そして、長年緘黙についての動きを見てきた者として、昔のことを伝えたいです。