無言電話を取ったときのこと

更新日:2020年06月18日(投稿日:2020年06月18日)
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普段電話を取ると、自宅でも緘黙気味になっていた


「問題です。ドラえもんは、どら焼きの『皮』と『あん』のどちらが好きでしょう?」

大学1年の夏休みに、我が家の自宅の固定電話に突然かかってきた電話です。当時、私は家族と同居していましたが、受話器を取ったのは私でした。

電話をかけてきた相手は、自分が誰かも名乗らずに、こんな質問をしました。まるで、いたずら電話です。ですが、私には声から、相手が誰か分かりました。中学時代の同級生で、いじめ加害者です。彼は中学卒業後、お互い別々の学校に進学した後もなお、私にちょっかいをかけ続けていました。

ですが、当時の私は異常に従順で、

「あん」

と正直に答えてしまいました。

ただ、私の返答の声は、小さいものでした。家庭という安心できる場面にいながら、電話を取ると固くなってしまい、緘黙のような状態になってしまったのです。当時は私の緘黙?がだいぶ改善していて、これでもよく返答できた方でした(ただし、私は話せなかったことについて専門家にかかったことはなく、緘黙の診断は受けていません)。

なお、この話は、私が学校などで話せなかったことのことを書いた「緘黙ストーリー」の第87話にも書いています。

↓ その第87話です。2012年に投稿した記事。
◇ [緘黙] 高校のクラス会に呼ばれる [ストーリー]
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では、無言電話の場合は?


こうした電話とは別に、この頃、自宅には無言電話もかかってきていました。そのうち私は2、3度取った覚えがあります。「無言電話がかかってきたら、即切れ!」というのが親の命で、私も大体それに従っていました。

ですが、一度だけ、即座に電話を切らなかったことがあります。無言電話の主は誰か興味が沸き、様子を窺ってみようと思い、こちらも無言で返したのです。

ですが、そのうち何だか可笑しくなり、つい大きな声で吹き出してしまいました。普段家にいるときと同じ感覚でです。さらにその直後、親が私に話しかけてきたため、私は受話器を切らないまま、親とべらべら話してしまいました。無言電話の主には、私の声は届いていたものと思われます。

無言電話の主は、もしかしたら、私が知っている人だった可能性もあります。ですが、相手が無言だったため、相手の気配を感じることがなく、つい、外ではなく家での自分が出てしまったのでした。

外出自粛で遠隔コミュニケーションが増える中、ふとこんな昔のことを思い出しました。あくまで、個人的経験です。



沈黙は金!?-話せるようになって学んだこと

更新日:2020年05月16日(投稿日:2019年11月25日)
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話せるようになったが、会話で失敗を重ねた


私が話せるようになって日が浅い頃、結構べらべらと自由におしゃべりをしていました。ですが、これで何度も失敗してしまいました。

例えば、会話の最中、気まずい沈黙ができてしまうことがあります。それを避けるため、とにかく話題をひねり出そうとするあまり、余計なことを口走ってしまったことが何度もあります。ある時は女性の前で「相撲パンツ」の話をして、嫌がられてしまったことがあります。

※ 相撲パンツは「まわし」の着用に抵抗がある人にも相撲ができるよう考案されたもので、この話題は下ネタでありません。ただ、問題は話の聞き手がどう感じるかです。

また、不適切発言をしたことが何度もあります。言葉の選択を誤り、本意でなく、しかもその場にふさわしくない発言をしてしまいました。「言葉の選び方を間違っただけだ!本当はそんなこと思ってはいないんだ!」と弁明しても、後の祭りです。

さらに、不確かな知識で、あれこれと話してしまうことも時々ありました。その結果、正確性に欠ける情報を広めてしまい、後で後悔してしまうことがありました。ブログを書くのであれば、自分のペースで裏付けをとってから書くこともできますが、日常的なおしゃべりの場ではそうもいきません。


教訓「沈黙は金」


これも、長い間まともに人と口を利けず、人と話す経験をしてこなかったためかもしれません。会話がこんなに難しいものとは思いませんでした。ですが、そうではなく、単に私の頭が悪いから、このような失敗を重ねただけのような気もします。どちらかは、私にも分かりません。

こうした失敗の末、たどり着いた教訓が「沈黙は金」。思えば、学校などで話せなかった頃は、「富条君は頭がいい」と過大評価してもらえたものです。話さない分、ボロが出にくかったのです。

それにしても、せっかく話せるようになったのに、そのたどり着いた先に見えた境地が「沈黙は金」とは……。優秀な方は、こうした失敗を糧に、話術を上達させていくのかもしれません。

私は逆に、おしゃべりは慎重にするようになりました。現在の私は少し口が重いです。また、あまり詳しくない知識や情報を語る必要に迫られた時は、「知らんけど」(関西人?)のような結び言葉を付け加えるという対策をすることもあります。


緘黙は治すべきだが、話せるようになれば「めでたし」とは限らない


緘黙がある人は話せるようになった方がよいと思います。

ただ、話せるようになれば「めでたし」とは限りません。もっとも、こういう失敗をする人が私の他にどれだけいるか分かりませんが……。





なぜ「緘黙の当事者、経験者」は、若い人が多いのか

更新日:2020年05月16日(投稿日:2017年12月08日)
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私が場面緘黙症だったことは、もはや遠い過去です。

最近特にそう感じます。当時の感覚は、年々はっきりとは思い出せなくなっています。もっとも、私は今なお、緘黙だった過去から完全に自由になれたわけではありません。ですが、この年齢になってまで、そこまで過去のことに拘り続けなくてもよいように思えてきています。

10代の頃は、自分は一生まともに人と会話ができないものと思っていました。20代半ばあたりに、やっとある程度話せるようになりましたが、それでも、自分が学校などで話せなかった過去は生涯ついてまわるものだと思っていました。それが、この年齢になって、若い頃には考えられなかった心境に至っています。

※ 個人の経験です。また、私の緘黙については診断を受けたことはありません。

こうなると、私より上の世代で緘黙を経験した方は、ご自身の緘黙経験について現在どう考えていらっしゃるのか気になってきました。

ところが、私が知る限り、緘黙経験を積極的に語る方は私と同年代以下の方が多いです。これでは、よく分かりません。

人口ピラミッドから考えると、緘黙の経験者は40代以上の方が多いはず


緘黙について情報発信を行なう当事者や経験者は、年齢層が偏っているように思います。10代半ばから30代、広めに見積もっても40代あたりまでがその中心ではないかと思います。

例えば、以下のリンクは2015年の年末に『週プレNEWS』に2日連続で掲載された、緘黙の記事です。複数の経験者と当事者の話が載っていますが、30代以下の世代に偏っています。

◇ クラスにいた“喋らないコ”…大人になって今も苦しむ「場面緘黙(かんもく症)とは?
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◇ 大人になっても人と話せない…知られざる「場面緘黙(かんもく)症」の苦悩とは
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私が気になるのは、4、50代以上の高年齢層です。もっとも、この年齢層で緘黙が治らない当事者の話をあまり見かけないのは分かるようにも思います。ですが、緘黙を克服した経験者についてはどうでしょう。日本の人口ピラミッドから単純に考えると、むしろ40代以上の経験者の方が多そうです。ところが、そうした世代の方はあまり見かけません。

まるで「サイレント・マジョリティー」のような話です。緘黙について積極的に語らない当事者、経験者が、全体の多数派を占めているのではないかということです。


なぜ高年齢層の経験者は、あまり見かけないのか


高年齢層の経験者をあまり目にしないのが、私には不思議なことに思えます。このことは、なぜか話題にしている人すら見たことがありません。なぜこのように年齢層が偏るのでしょうか。私なりに考えられる要因を挙げてみました。

単に私が目にしないだけ


私は無意識のうちに、同世代の若い人の話ばかり読んでいるだけなのかもしれません。


昔は緘黙の発症率が低かったから、ないし、緘黙が長期化しにくかったから


昔は緘黙になる子どもが少なかったのなら、納得がいきます。もしくは、緘黙が長期化することが少なく、後の人生に与える影響が軽微なものだったのなら、これも納得できます。ただ、そんなことがあるのでしょうか。


高年齢層は、自分自身が緘黙だった自覚が薄いから


子どもの頃のことを忘れている。緘黙や不安症という新たに知った概念を受け入れるよりも、自分は人見知りだったと思って納得している。何らかの理由から、緘黙の啓発効果が高年齢層にまで及んでいない。そうした理由により、自分自身が緘黙だったことの自覚がない人が多いのであれば、これも納得できます。


高年齢層が緘黙経験を語る場は、若年層に比べて限られるから


経験者や当事者の話は、Twitter などインターネット上によく見られます。インターネットは誰でも簡単に情報発信できますが、高年齢層には比較的馴染みが薄いです。


高年齢層が緘黙経験を語るのを、若年層が無意識に妨げているから


緘黙の経験を語る人は若年層が多く、中高年層にとっては立ち入りづらい世界のように感じられるのかもしれません。


年齢が上がるにつれ、緘黙経験に縛られなくなるから


私と同じような理由です。


私も、自身の経験を語る意欲を失い始めている


緘黙については、もしかしたら、年齢を重ねてようやく見えてくるものもあるかもしれません。また、若い頃は緘黙や後遺症で苦労したものの、人生後半で何かが開けた大器晩成型の人もいるかもしれません。ところが、このように緘黙経験を語る人が若い世代に偏っていると、それも分かりません。

それだけに、私としては、この先も自分の緘黙経験を語っていければと思うのですが、そうした意欲がいまいち湧いてきません。昔のことは忘れつつある上、記憶の塗り替えも進んでいるでしょうから、語り続ける自信がありません。また、いつまでも過去のことに拘りたくもありません。他の方の緘黙経験とか、緘黙に関するニュースなどには関心があるのですが、自分自身の経験について拘り続けるのはどうも……。

[追記(2017年12月9日)]

本日の『読売新聞』朝刊に、場面緘黙症への理解などを訴える読者投稿が掲載されました。62歳の経験者とみられる方からです。今でも人と話をするのは苦手と感じておられるようです。ご年配の方からのお話、ありがたいです。

※ 全国的に掲載されたのか、一部地域でのみ掲載されたのかは、私には分かりません。