[緘黙ストーリー] 緘黙ストーリーを始める [最終回]

更新日:2017年11月08日(投稿日:2013年12月21日)
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このブログでは、私の来し方を振り返り、連載形式で書き続けています。今回が最終回です。通算第100話をお届けします。

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ブログ「ニートひきこもりJournal」の開設


ひきこもりデイケアに通い続け、コミュニケーション面で私なりに成功体験を積み重ねていったのですが、そのうち行き詰まりを感じるようになりました。これをきっかけに今までと違う新しいことを始めようとあれこれ試み出すのですが、その一つが新しいブログの立ち上げでした。

それまでにも私はウェブサイトやブログをいくつか持っていたのですが、シャイな私はいずれも大っぴらな公開は控えていました。今回はもっと広く公開して広告収入も得ようと考え、ブログ「ニートひきこもりJournal」(NHJ)を開設しました。

このとき、私は緘黙のことを思い出しました。どうせ広く公開するブログなら緘黙のことも書いて、より多くの人に緘黙を知ってもらいたいと思い、最初の記事でこう書きました。

「このブログを通じて緘黙症(かんもくしょう)という情緒障害についても折に触れて扱い、その認知度の向上に努めたいと思っています」

「場面緘黙症Journal」の独立


そうして週1回、土曜日にNHJ で緘黙に関する記事を書くことにしたのですが、存外に多くのコメントをいただくようになりました。ただ、緘黙についての記事のみ、コメントをくださる方の層が他の記事とは違いました。このことから、緘黙コンテンツのみ独立しようと考え、NHJ を立ち上げて2か月後、「場面緘黙症Journal」(SMJ)を新たに始めることにしました。

それまで NHJ に投稿していた緘黙関係の記事 10エントリーを SMJ に移転、さらに同日、SMJ初のオリジナル記事「これまでにアップした記事の一覧」と「最新!2005年8月発売の緘黙本」を公開しました。しかし、その直後パソコンの故障に見舞われ、およそ1か月間のブログ更新停止を余儀なくされました。幸先の悪いスタートでしたが、パソコン復帰後は精力的に更新を続けました。





[続・緘黙] ひきこもりデイケアで変わる [ストーリー]

更新日:2017年11月09日(投稿日:2013年11月02日)
アイキャッチ画像。緑の道を歩く青年。モデル:Tsuyoshi.写真素材サイトPAKUTASOより。
このブログでは、私の来し方を振り返り、連載形式で書き続けています。通算第99話をお届けします。最終回間近です!

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「自分は場面緘黙症だったに違いない!」

インターネットで緘黙のことを知り、こう確信した私でしたが、ではどうすれば現在のひどい引っ込み思案を克服できるかは分かりませんでした。ひきこもっていた私ですが、その大きな原因である極度の引っ込み思案の克服は課題でした。

緘黙サイトの掲示板にお邪魔したり、個人のウェブサイトを運営したりといったことをしばらく続けていましたが、そのうち緘黙のことを考えないようにすることにしました。あまり緘黙にとらわれると、かえって今の自分の緘黙?経験から自由になれないような気がしたからです。

ひきこもりデイケア


そうして、どうすればひきこもりを克服できるかに考えを移したところ、地元の某所がひきこもりの支援を行っていることをインターネットで知りました。

まずは電話で相談をしてみようかと思ったのですが、私のことです。知らないところに電話などできるわけもありません。ですが、当時の私は相当思い詰めていたためか、決死の覚悟で(大袈裟かもしれませんが、私にとって電話とはそういうものでした)電話をかけました。電話の最中、受話器を持つ手も声も震えていましたが、なんとかお話をすることができました。この後、施設職員と面接をすることになりました。





[続・緘黙] ネットで場面緘黙症を知る [ストーリー]

更新日:2017年11月08日(投稿日:2013年10月06日)
アイキャッチ画像。ノートパソコンと筆記用具。写真素材サイトPAKUTASOより。
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大学は4年で卒業できたのですが、その後の就職先が決まらなかった私は、自宅にひきこもりがちの生活を送っていました。

この頃、私が一番考えていたことは自分自身のことでした。もはや手遅れかもしれませんが、自分を見つめ直し、問題点を洗い出すことにより、社会参加への手がかりを何とかつかもうとしていたのです。色々と考えたのですが、自分の最大の問題と考えられたのは、やはり長年続く極端な引っ込み思案でした。これは私にとっては長い間取り組んできた古くて新しい問題でしたが、この頃には学業から解放されたこともあって、この問題をこれまで以上に見つめ直しました。

その中で、インターネット上の情報も参考にしました。自宅でインターネットができる環境が、この頃には既に整っていたのです。私は、自分は対人恐怖症の類ではないかと思い、検索エンジンでそうしたキーワードを検索していました。対人恐怖症だとしたら、どうすれば治せるのか。そうして実に様々なウェブサイトを見て回ったのですが、その中で、ついに「場面緘黙症」という用語を知るに至ったのです。