コンフォートゾーン--不安を感じず、話せる場所

更新日:2017年10月28日(投稿日:2017年07月31日)
アイキャッチ画像。

comfort zone


英語圏の場面緘黙症の本などを読んでいると、 "comfort zone" という言葉を時々目にします。

どういう意味の言葉でしょう。The Selective Mutism Resource Manual(『場面緘黙リソースマニュアル』)第2版には、次のような説明があります(Johnson and Wingtgens, 2016, p. 143)。

ほとんどの緘黙児にとって、家は comfort zone です。つまり、緘黙児が自分らしくいられ、のびのびと話すことができる唯一の場所です。

For most children, home is their comfort zone; the one place where they can be themselves and talk freely.

上の説明を借り、comfort という言葉を意識して改めて説明してみると、comfort zone とは、緘黙児者が不安を感じず、自分らしくいられ、のびのびと話ができる場所と言えるのではないかと思います。

私はこの言葉、なかなか面白いと思うのですが、何と訳せばよいのか分かりません。「快適ゾーン」「安全地帯」……どれもしっくりきません。最近出版されたイギリスの本の邦訳『場面緘黙支援の最前線』(新しいウィンドウで開く)』では、「安心できる場所」(90、92ページ)、「安心できる場面」(91ページ)、「安全と感じる場面」(92ページ)という訳が当てられています(Wintgens, 2014/2017. pp. 90-92)。なるほど、もっともです。前後の文脈からしても適訳です。言われてみると、そんな簡単なことかとも思えてきます。

ですが、今回の記事では、敢えて片仮名で「コンフォートゾーン」にしてみることにします。こうすると、「コンフォートゾーン」という一つの概念が存在するように思えて、面白そうです。実際のところ、comfort zone という言葉は英語圏で時々目にすることがあり、半ば一つの緘黙支援用語ではないかなどと思うこともあるほどなので、これも悪くないのではと思います。


「コンフォートゾーン」で話せなくなることも


学校などで話せない少年時代を送った私には、「コンフォートゾーン」という言葉が言わんとしていることは身を持って分かります(ただし、私は緘黙の診断は受けていません)。私の場合、代表的なコンフォートゾーンは家やその周辺でした。一方、学校はコンフォートゾーンの外でした。

ですが、よくよく思い返すと、コンフォートゾーンで話せなくなることや、逆に、コンフォートゾーンの外側で少し話せるようになることも稀にありました。

例えば、小学生の頃、家の前ではしゃいでいたところ、元クラスメイトとばったり会って、急に固まってしまったことがあります。この経験については、コミックエッセイ『私はかんもくガール』(新しいウィンドウで開く)にも、似た話があります(らせんゆむ, 2015, p.19)。近所で母らと一緒に喋りながら歩いていたところ、クラスメイトとばったり会って、それから外を歩くときは「外」と「家」の間のあいまい状態を使うようになったという話です。

↓ その『私はかんもくガール』の一場面。出版社ホームページに掲載されているチラシです。PDF。1.51MB。
◇ かんもくガールチラシ (新しいウィンドウで開く

※ PDFを閲覧するには Adobe Reader が必要です。こちら新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

また、学校で高校受験のための三者面談をした時は、親が側にいたせいか、私は家にいるときの状態に少し近くなりました。学校なのに、家のように話すことが少しできるようになったのです。


「コンフォートピープル」「コンフォートアクティビティー」があってもよさそう


ゾーン(zone)は空間を表す言葉です。ですが、緘黙児者が話せる/話せない場面は、空間のみで限定されるわけではありません。北米では、緘黙児者が示す一般的な発話パターンを「場所」「人」「活動」の三要素に分ける考え方があります(例えば、Mcholm et al., 2004/2007)。緘黙児者がどの程度話せる/話せないかは、これら三要素の組み合わせで決まるものとも考えられます。「コンフォートゾーン」があるなら、「コンフォートピープル」「コンフォートアクティビティー」があってもよいのではないでしょうか。

また、コンフォートゾーンとそうでないゾーンにはっきり二分されるわけではなく、実はその中間のようなものがあるのではないかとも思います。

このように、不安を感じず話せるかどうかは、コンフォートゾーンだけが問題ではなく、「コンフォートピープル」や「コンファートアクティビティー」との組み合わせによるのではないかと思います。また、コンフォートゾーンとそうでないゾーンの境界は曖昧ではないかと思います。

とはいえ、多くの場合、コンフォートゾーンやコンフォートピープルなどはセットではないかと思います。家の中にクラスメイトが入ったり、学校に親が入ったりする場面は少ないのではないかと思います。


片仮名言葉


それにしても、今回の記事は片仮名がやたらと出てきてしまいました。「エビデンス」とか「ワイズスペンディング」とか、片仮名言葉は実はあまり好きではありません。特に「コンフォートピープル」という言い回しは、いまいちのような気がします。

「コンフォートゾーン」などの言葉は、今後はあまり使わないことにします(じゃあ、今回の記事は何だったんだ?)。