「私たちの困難は、理解や包摂の欠如が原因」

更新日:2018年07月27日(投稿日:2018年07月27日)
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「私たちに治療は必要ない」


緘黙児者にはスモールステップの取り組みなどで治療する--これが、英語圏の場面緘黙症専門家の間で主流の考え方です。

ところが、イギリスの当事者団体 ISpeak は、この考え方を 繰り返し批判しています。

シンプルな変更と配慮、そして周囲の理解が、緘黙がある人が切に必要としているものです。緘黙支援サイトの中には、かなり最近まで緘黙を「悲劇」と見る傾向があるものもありました(これは全く助けになりません)。緘黙は非常に困難なことですが、多くの私たちの困難は、周囲の人による理解や包摂が不足していることが原因です。

Simple changes and accommodations, and understanding from those around us is desperately needed for those with SM. Some SM support sites tended to see SM as a ‘tragedy’ up until fairly recently (this does not help at all). Having SM is very difficult, but many of our difficulties are caused by a lack of understanding, and a lack of inclusion.

◇ https://www.facebook.com/ispeaksm/posts/1441833862557017
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非常に多くの緘黙児支援サイトが、緘黙を「克服する」「乗り越える」といった言葉を使っています。これは、緘黙がある人には誤ったメッセージです。もし私たちにそれができなかったら、そうしたメッセージにより、私たちはある意味失敗したとか、「間違っている」とか、弱いなどと感じてしまいます。実際、緘黙とともに何とかやっていくことができれば、私たちは大変強くなります。私たちには、他の人からの受容と理解が必要です--私たちには治療は必要ありません、これは人の違いの問題です。

So many SM help sites for children, use words like 'overcome' or 'conquer' selective mutism. This is the WRONG message for those with SM. This makes us feel we have failed or are 'wrong' or weak in some way if we have not. In fact surviving with it, has made us incredibly strong and determined. We need acceptance and understanding from others - we don't need fixing, this is about difference.

◇ https://www.facebook.com/ispeaksm/posts/1641103209296747
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ISpeak の主張は、Facebook ページを中心に展開されています。上で挙げたものはそのごく一部です。この主張には、障害は社会が作るという「社会モデル」の考え方が背景にあります。変えるのは緘黙児者ではなく、その環境の方だということでしょう。


私は少し違う考え


私は ISpeak の主張に同意できる部分もあるのですが、少し違った考えをしています。

緘黙は治した方がよいと思う


私は専門家ではないのですが、緘黙は治した方がよいというのが私の考え方です。緘黙が長期にわたって続くと他の精神障害を続発するリスクがあることはよく指摘されるところです。

また、話せないことによる不利益を配慮や理解、包摂だけで補うのには限界もあるのではないかと思います。さらに、私は、世の中には理性や善意にあふれた人ばかりとも思わないので、周囲に期待したり依存したりしすぎるのは脆さをはらんではいないかとも感じてしまいます。あと、イギリスには、話せるようになりたい緘黙児者は本当にいないのだろうかとも思います。


だが、配慮や理解等も必要と思う


ですが、配慮の提供や理解を訴えることや、緘黙児者を包摂することの必要性を否定するつもりもありません。むしろ、それも大切なことと思います。

環境に働きかけることと、緘黙を治すことは相反するものではなく、両立し得ると考えています。緘黙治療では行動分析を応用することも多いですが、行動分析では個人と環境の相互作用が鍵です。

また、私自身学校で長期間話せなかった人間として、「なぜ自分が変わらないといけないんだ、自分は何も悪くない、変わらないといけないのは社会の側ではないのか」と考えたことはあり、心情としては ISpeak の主張に共感できる部分もあります。あと、ISpeak には緘黙がどちらかと言えば治りにくいと思われる成人期の緘黙の方も多いようなので、治すより受け入れるという主張が出るのも、少し分かるような気もします。


これは反動かも


緘黙への治療ばかり強調されすぎなのかも


これはもしかすると、反動なのかなとも思います。英語圏での緘黙専門家は、スモールステップで話せるように持っていこうとする傾向が強いです。

しばしば "brave"(勇敢な)などの言葉を持ち出し、緘黙の克服のため、緘黙児者に勇気を出すよう促します(特にアメリカにその傾向が強いのですが、イギリスにも見られます)。こうしたことが行き過ぎて、反動がきているのかもしれません。


専門家に批判的な姿勢


それにしても、既存の専門家に批判的な ISpeak の姿勢には考えさせられます。これまで専門家は、緘黙児者は自らの意思で話さないかのような扱いをしたり、緘黙を軽んじたりと、洋の東西を問わず過ちを犯してきた歴史があります。

かといって、専門家をいたずらに否定しなくてもよいと思いますが、専門家の主張を鵜呑みにしない姿勢には学ぶべきところもあります。


イギリスの緘黙支援の第一人者が、この見解を紹介


ISpeak は以前から上のような主張を繰り返してきましたが、最近一つ動きがありました。

6月27日(水曜日)にイギリスのボーンマス大学で行なわれた緘黙の講座 Shyness? Reluctance to speak? ASD? Or selective mutism? の中で、緘黙支援の第一人者が、緘黙の成人当事者は、自分たちが受け入れられることを何よりも望んでいることをついに認めたのだそうです。私はこの講座をネットで視聴したのですが、この第一人者とは言語聴覚士のマギー・ジョンソン氏でした。

ISpeak は当事者団体とはいえ、その主張がどこまでイギリスの当事者の主張を代表したものかは私にはつかめません。ですが、当事者側からこういう主張もあることには注目しておきたいと思います。

用語「緘黙症」は100年以上前にあった可能性、だが…

更新日:2018年07月21日(投稿日:2018年07月21日)
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「緘黙」という言葉を用いて場面緘黙症について触れた日本語文献のうち、私が確認した最も古いものは、ロバン『異常児』(1940年/昭和15年)でした。これについては、このサイトでも過去に何度かお話したことがあります。

↓ 旧仮名遣いと旧字体は現代風に変えています(Robin, 1940, p.378)。
わたしの同僚がある日、十歳の児童を恐らく緘黙症であろうからと廻してきた。成程、訊いても答えない。幾度か尋ねても、たまに単語を答える程度である。家庭では口をきくし、両親の話によると、可成りに陽気であるらしい。学校でも友達とは口をきく、それもたった一人の友達とだけである。

ですが、「緘黙症」という用語は、それ以前から日本語文献に見られます。このことには、最近気付きました。ただ、その「緘黙症」が、今日で言う場面緘黙症に相当するものかどうかというと、話は別です。

意外にも「Googleブックス」で発見


そのロバン『異常児』(1940年/昭和15年)以前の「緘黙症」という用語の使用歴ですが、意外にも「Googleブックス」で見つけました。Googleブックスは、書籍の検索サービスです。

↓ Googleブックスで "緘默症" "絨默症" と検索すると分かります。旧字体で検索するのがコツです。こんな簡単なことに、どうして今まで気付かなかったのか……。なお、"絨默症"は誤字ですが、検索の際には役立ちます。

◇ Googleブックスで "緘默症" と検索
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◇ Googleブックスで "絨默症" と検索
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『神経学雑誌』第8巻(1909年/明治42年)?


ヒットする文献のうち、最も古いものは『神経学雑誌』第8巻(1909年/明治42年)です。ですが、Googleブックスでは、この文献の中身が確認できません。そこで原典に当たってみたのですが、Googleブックスに示されたページ数には、緘黙症に関する記述は見つかりませんでした(菅井, 1909)。

Googleブックスは、本をスキャンしたものを表示しているのですが、これがうまくいかないのか、たまにページ数表示が不正確な場合があります。『神経学雑誌』第8巻をもっと丹念に調べれば、該当する記述が見つかるかもしれません。


『神経学雑誌』第12巻(1913年/大正2年)?


次いで古いのが、『神経学雑誌』第12巻です(1913年/大正2年)。これは少しだけ中身が確認できますが、本当に少しだけなので何とも言えません。これも原典に当たってみたのですが、同様に、該当する記述は見つかりませんでした(Knaffl-Lenz, 1913)。これも、ページ数の表示が不正確なのかもしれません。


『満州医学雑誌』第13巻(1930年/昭和5年)


それに続いて、『満州医学雑誌』第13巻も古いです(1930年/昭和5年)。これもGoogleブックスでは中身が一部しか確認できませんが、原典に当たってみたところ、Googleブックスが示す緘黙症に関する記述を見つけることができました。

これは九州帝国大学教授で医学博士の下田光造氏による「神經症ニ就テ」という「講演」なのだそうです。多様な「『ヒステリー』症候」を例示する中で「緘默症」が挙げられるという、それだけです(下田, 1930)。


それ以外の文献


それ以外の文献については、Googleブックスで中身を閲覧できるので、ここで詳しくご紹介するのは省きます。いずれも、話さないという点では場面緘黙症と共通するものの、学校など特定場面でのみ話さない(というより、話せない)という重要な要素が含まれていません。


「国会図書館デジタルコレクション」でも発見


さらに、今度は「国立国会図書館デジタルコレクション」の検索で、次の文献を発見しました。1938(昭和13年)です。

◇ 野村章恒 (1938). 学説 緘黙症の精神病理に関する一知見. 日本医事新報. 821, 7-8.

これも原典に当たってみたところ、「精神分裂病」(今日で言う統合失調症)の緘黙を扱ったものでした。


場面緘黙症に相当するものは、今回は確認できなかった


このように、ロバン『異常児』(1940年/昭和15年)以前にも、「緘默症」という用語は文献上に存在したことが分かりました。ですが、学校など特定場面でのみ話さない(というより話せない)症状として扱ったものは、確認できた範囲ではありませんでした。

登場する「緘默症」はヒステリー症候の一つとして挙げられたり(下田, 1930)、拒絶症として扱われたり(菊池, 1930, p.381)、緊張病の一症状と説明されたり(浅田, 1937, p.630)、統合失調症の緘黙だったり(野村, 1938)と、様々です。もしかしたら、当時は話さない症状は何でも「緘黙症」とされたのかもしれません。また、場面緘黙症の概念化がまだなされていなかったのかもしれません。

ただ、根拠はないのですが、学校などで話せないことを後に「緘黙症」と呼ぶようになったのには、この時期に「緘默症」という用語が存在したことが背景にあったのかもしれません。今日私たちが「場面緘黙症」「選択性緘黙」などと呼ぶのも、源流をたどれば、この時期に遡る可能性もあるのではないかと思います。

あと、今回はGoogleブックスなどでちょっと検索しただけで「緘默症」の文献がこれだけ見つかったので、古文献をよく探せば、さらに見つかるかもしれません。もっと古い使用歴だって見つからないとも限りません。今日の場面緘黙症に相当する使用歴が見つかれば面白いです。



英語民間試験での緘黙等への配慮、東大WGの見解

更新日:2018年07月18日(投稿日:2018年07月17日)
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大学入試で活用される、英語民間試験


以前もお話しましたが、大学入試センター試験は廃止され、2020年度からは大学入試制度が変わります。

新制度では、英語に「民間事業者が実施する試験」が活用されます。例えば、英検などです。これは、従来のセンター試験で問うてきた「読む」「聞く」能力に加え、「書く」「話す」能力をも測るためです。これからの大学入試では、英語を「話す」能力の重要性が増してくることになります。

東京大学ではこの英語民間試験の活用について、「入学者選抜方法検討ワーキング・グループ」(WG)が検討を行いました。その結果、答申がまとまり、7月14日にインターネット上で公表されました。

↓ 東大ホームページへのリンクです。
◇ 入学者選抜方法検討ワーキング・グループ答申の公表について
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↓ 教育情報サイト「リセマム(ReseMom)」へのリンクです。
◇ 東大、共通テスト「英語」民間試験は不使用か…年内に実施方針決定
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その答申の中に、次の文を見つけました(太字は私が施したものです)。

また「障害等のある受験生への合理的配慮」を要件にしているとあるが、これについても一部を除いて多くの試験実施団体が同じ文言で将来的な対応に言及しているに過ぎず、何を配慮すべき事項とするか、これにどう対応するかなどについては、少なくとも現時点ではほとんど明らかにされていない。特にスピーキングテストを一律に課す場合、緘黙など「話すこと」に関わる障害をどう扱うかという、きわめて困難な問題が生ずると思われるが、こうした点について議論された形跡もほとんどうかがえない。

↓ PDF(312KB)。7ページ下段に、上の引用文があります。
◇ 入学者選抜方法検討ワーキング・グループ答申
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※ PDFを閲覧するには Adobe Reader が必要です。こちら新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

前段の「『障害等のある受験生への合理的配慮』を要件にしているとあるが」とは、おそらく、次の文部科学省ホームページに書かれてあることのことと思われます。

↓ 文科省ホームーページへのリンクです。
◇ 資格・検定試験においては、障害者への配慮はなされるのでしょうか。
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現時点での話だが、事実だとしたら少し心配


私は専門的なことはよく分からないのですが、もし東大ワーキングループの指摘する通りだとしたら、緘黙に関わる者としては少し心配ではあります。ただ、何しろあの東大です。東大ワーキンググループのこの見解は他の大学に影響を与える可能性も考えられます。つまり、英語民間試験の活用に消極的な大学が、他に出てくるかもしれません。

また、東大ワーキンググループによる英語民間試験への見解は、あくまで現時点でのものです。今後、緘黙も含めた、障害等のある受験生への合理的配慮の議論が進む可能性は考えられられます(緘黙は認知度が低いので、議論が行われるか少し心配なのですが)。

もっとも、今回の東大ワーキンググループの見解は、まだ東大としての公式見解ではありません。新入試制度についてもまだ十分固まってはいませんし、今後の動向に注目したいです。

ちなみに、私は高校時代、センター試験を国立大学の一次試験として受験し、最終的に国立大に進学しています。あの頃は口がきけなくても、ペーパー試験さえなんとかなれば、一般入試はハンディなく受けられたのでした。それだけに、今回の大学入試改革を他人事とは思えない部分があります。

[2018年7月18日]

一部内容を、若干書き改めました。