「十代への緘黙治療」

更新日:2018年08月31日(投稿日:2018年08月31日)
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イギリスの言語聴覚士 Anna Biavati-Smith(アナ・ビアバディ・スミス)氏が、十代への緘黙治療について語る動画を先日公開しました。同氏は、緘黙支援ではイギリスでは知られた方です。

場面緘黙症というと、もっと低年齢の子どもに伝統的に焦点が当たってきました。ですが、十代以上の緘黙児者もたくさんいます。興味を引かれるテーマです。

↓ その動画。全部で6分2秒です。


動画を見た感想ですが、

○ 治療の意思決定に緘黙児者を加えること
○ 非言語コミュニケーションから言語コミュニケーションへの移行
○ スモールステップのアプローチ
○ その緘黙児者に合わせた治療プログラム

など、他の本などに書かれていたことと大きな差はないように思います。比較的オーソドックスな内容と言えるかもしれません。スモールステップの踏み方など、治療の意思決定に緘黙児者を加える点は、十代ならではです。

不安を感じなくなったのに


スミス氏の動画の中で気になったのは、50秒頃のあたりからの説明です。

しかし、不安は(緘黙を考える上で)重要ですが、しばしば十分ではありません。というのも、子どもが年齢を重ねるにつれて、緘黙児、特に十代の緘黙児者の中には、もはや不安を感じてはいないのに、特定場面での緘黙や、コミュニケーションと適切な社会的交流の欠如により、友情関係や社会的コミュニケーションを築けない子がいるからです。

But although anxiety is key, it's often not enough. Because as a child is aging, we know that some children with selective mutism, especially teenagers with selective mutism, they don't feel that anxious anymore, but their mutism and their lack of communication and proper social interaction in specific setting has not able them to create friendships, creat social communications.

十代の緘黙を考える上では、不安に注目するだけでは不十分だというのです。この後の説明では、緘黙児者のコミュニケーションの水準を、非言語コミュニケーションから言語コミュニケーションの段階に持っていく必要性が説かれています。

このスミス氏の見解は、アメリカの Elisa Shipon-Blum(エリザ・シポンブラム)氏の見解と重なるように思いました。シポンブラム氏は、特に年齢が上の緘黙児者の場合、不安を和らげても、それだけでは大抵の場合は非言語コミュニケーションのステージに留まってしまい、言語コミュニケーションのステージに至るには不十分という見解を示しています。緘黙行動が学習されているからです (Shipon-Blum, n.d.)。

◇ 「不安を和らげるだけでは、発話には不十分」
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私は専門家ではなく、スミス氏やシポンブラム氏の見解が妥当なものかどうかは、分かりません。ただ、お話しした通り、緘黙というと伝統的にもっと低年齢の子どもに注目が当たってきて、その中で、緘黙を不安と関連付ける見方が主流になりました。私たちはそれに捕らわれすぎてはいないか、といったことは考えさせられました。

それにしても、ここは緘黙の病因論にも関わるところだと思うので、本格的に研究が行なわれて、ちゃんとした論文が発表されて欲しいところです。私が知る限り、そうした論文はなかったように思うのですが……。


「神経可塑性(かそせい)」


終盤には、脳科学のなじみのない話が展開されます。これはおそらく「神経可塑性(ニューロプラスティシティ;Neuroplasticity)」の話題ではなかろうかと思います。

神経可塑性については、スミス氏は、イギリスの緘黙団体SMIRAの年次総会で話をされたことがあります。それを要約したのが動画の話ではないかと思います。

↓ スミス氏による神経可塑性の話。イギリス在住MIKUさんのブログ「場面緘黙について考える-備忘録-」へのリンクです。
◇ 2018年SMiRAコンファレンス(その2)
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神経可塑性と思われる話を持ち出しながらも、十代の緘黙児者はしばしば緘黙行動を学習してしまっているというのが、結局のところ、この動画でのスミス氏の見解ではないかと思います。これもシポンブラム氏の見解と重なります(ただし、見たところシポンブラム氏は、神経可塑性という用語を持ち出して説明してはいません)。

動画全体としては、十代の緘黙児者の場合、たとえ不安を感じなくなっても、しばしば緘黙行動を学習してしまっていて抜け出せないということではないかと思います(こう解釈すれば、前後の話が通じる)。それを、例によってスモールステップで話し、社会的コミュニケーションを築けるよう持って行くということをおっしゃろうとしているのでしょう。


むすび


この動画は、専門家がYouTubeで簡単に見解を示したものに過ぎません。ですが、伝統的に比較的取り上げられることが少なかった十代の緘黙についてイギリスの専門家が一つの見方を示すもので、少し注目してみたいと思います。

動画はこれまで示されてきた見解と概ね重なるもので、既存の見方を支持するものと見ることができるかもしれません。





電車の中吊り広告に「選択性緘黙」が出たことがあった

更新日:2018年08月25日(投稿日:2018年08月25日)
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雑誌の中吊り広告


雑誌に場面緘黙症の記事が掲載された。「電車の中吊り」で見た!

こういう趣旨の書き込みが、2002年7月14日、緘黙などを扱ったサイト「ほほえむ」の掲示板でありました(「ほほえむ」は現在閉鎖されています)。[注]

その書き込みによると、掲載された雑誌は『灯台』(第三文明社)2002年8月号だそうです。同社のホームページを確認したところ、その2002年8月号に次の見出しがありました。

●親子のカウンセリング教室 (織田尚生・東洋英和女学院大学教授)
[選択性緘黙と不登校]学校で話せなくて不登校になった娘

↓ 当時の雑誌の公式ホームページへのリンクです。WayBack Machineを用いて、アーカイブを取得しています。
◇ 『灯台』2002年8月号(通巻503号)のご案内(7月10日発売)
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私は電車はあまり乗らないので詳しくは知らないのですが、『灯台』は中吊り広告を出しているそうなので(目撃情報がネット上で多数あり)、上の見出しが中吊り広告に掲載されても不思議ではありません。

中吊り広告としてどう掲載されたのかは分かりません。仮に「[選択性緘黙と不登校]学校で話せなくて不登校になった娘」と掲載されたとしたら、緘黙の認知度に影響を与えたかもしれません。


『灯台』の記事は、当時緘黙サイトで転載された


ところで、この『灯台』の記事については、「緘黙克服クラブ」というサイトに転載されました。許可をとった上での転載だそうです。

「緘黙克服クラブ」のサイトはだいぶ前に閉鎖されたのですが、WayBack Machineを使えば今でも見ることができます。記事の内容が何かの参考になる方もいらっしゃるかもしれないので、ご紹介します。

◇ 学校では話せなくて不登校になった女の子 | 学校では話せない娘
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※ 「進む」を読むと、続きの内容を読むことができます。5ページ目以降はアーカイブ化されておらず、読めません。閉鎖されたサイトの内容をご紹介するのは気が引けるのですが……。

第三文明社というと創価学会のイメージがありますが、見たところ、内容には無関係のようです。

4ページ目にある「遊び治療」とは遊戯療法のことでしょうか。一昔前までは、日本で緘黙治療といえば、言葉を出さなくてもできる遊戯療法が特に盛んだったそうです。この記事が掲載された2002年も、遊戯療法が主流の時代だったのではないかと思います。

ただ、2007年に、カナダの本の翻訳書『場面緘黙児への支援―学校で話せない子を助けるために』が刊行された前後から、欧米で主流の行動療法に注目が集まるようになりました。行動療法は、大雑把に言うと、スモールステップの取り組みを思い起こしていただけるとよいです。このため、この記事の緘黙支援に対する考え方にはしっくりこない方もいらっしゃるかもしれません。

なお、今回お話した記事は『こころの傷が治った―カウンセリングの現場から』という本にも掲載されているそうです。にほんブログ村「場面緘黙症」カテゴリでもお馴染みのカツピコリンさんが読んだ感想を書いていらっしゃいます。

↓ カツピコリンさんのブログへのリンクです。
◇ 「こころの傷が治ったーカウンセリングの現場からー」を読んで(終)
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当事者、保護者の情報発信-ネット普及以前は?

更新日:2018年08月19日(投稿日:2018年08月19日)
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日本の緘黙当事者や経験者、保護者がインターネットで緘黙について情報発信を行なうようになったのはいつからでしょう。私が確認できる限りでは2000年4月10日のウェブサイト「ココロのひろば」の開設がきっかけです。

これ以降、緘黙に関わる個人ホームページが次々に立ち上がったり、大手掲示板に緘黙のトピックが立ち上がったりしました。当事者らによる情報発信が、インターネットの世界で継続的に行なわれるようになったのです。さらには、こうした場で交流や情報発信を行なっていた人が本を出版したり、緘黙の団体を作ったりと、活動の幅はネットの外にも広がりました。そして、今日に至っています。

では、それ以前には当事者らによる情報発信はなかったのでしょうか。日本では、緘黙研究の歴史は私が知る限り1951年まで遡ることができます。当事者らによる情報発信が「ココロのひろば」が開設された2000年より前からあっても不思議ではありません。そこで、私が知る限りの情報をまとめてみました。

2000年以前


1979年


場面緘黙症だったという詩人の一色真理(いっしきまこと)さんによる1979年の詩集『純粋病』に、入学以来ひとことも口をきかぬ男の子の詩「心」が収録されていたそうです。ただし、その詩は創作なのか、ご自身の緘黙のことを書かれたのか、詳しくは知りません。また、詩の中では「緘黙」という用語は出てきません。

↓ 緘黙だったという一色さん。Twitter に登録されていない方でもご覧になれます。
◇ 一色さんのTwitter投稿
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↓ その詩「心」が読めます。ちょっと上の方。一色さんと岡島弘子さんのホームページ「詩・夢・水平線」へのリンク。
◇ 絶版詩集復刻シリーズ1 一色真理 純粋病
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1986年頃


盛岡で行なわれたNHK「青年の主張」で、短大生だった正子さんという方が、緘黙の克服について語られたそうです(いつ頃かは未確認)。

それをたまたま聴いていた岩手大学の山本実教授(故人)が正子さんにインタビューし、書籍にまとめたそうです。『緘黙症・いじめ-正子の場合』(1986年)という本です。ただし、これらは又聞きの話で直接確認していません。詳しくは、下記の記事をご覧ください。

◇ もう一人の緘黙研究者
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1987年


1987年に、博報堂第二営業局長(後に取締役)だった田村尚さんが、『プレゼンテーションの技術―言葉だけでは人を動かせない』という本を出されています。本の中で、田村氏はご自身は場面緘黙症だったとされていて、若い頃のことをお話された箇所があります。ただ、この本の主題は、あくまでプレゼンテーションです。

◇ 緘黙だったという方が著した、プレゼンテーションの本
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1994年


佐伯一麦さんの私小説『木の一族』の「古河」という20ページほどの短編の中で、著者の長女が緘黙であることが書かれた部分があります。著者が、岩手大学の山本実教授に宛てて書いたとみられる手紙があります。ただ、緘黙を主題とした私小説ではありません。


1995年


緘黙を経験された方とその保護者が書いた本『負けたらあかん!』が出版されました。ただ、この本はいじめなどで死に急ごうとする子どもたちに「負けたらあかん!」と訴えることが主眼で、緘黙が主題の本かというと少し違うと思います。


1999年


『朝日新聞』に連載されていた「桂あやめの艶姿ナニワ娘」1999年3月22日掲載分で、著者の桂あやめさんが幼稚園で喋ることができなかった経験が書かれてあります。この話は、同じ題名の本(2000年1月出版)にも掲載されています。ただし、「緘黙」の用語は使われていません。

桂さんは2015年に緘黙を扱ったテレビ番組に出演、「場面緘黙症」は知らなかったと話されていたそうです。

↓ その時のテレビ番組について。「緘黙ブログー不安の心理学、脳科学的知見からー」へのリンクです。
◇ ハートネットTVで場面緘黙症(Twitterデータセット付き)
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ネットが普及しておらず、当事者らが声を上げにくい時代だったのでは


2000年以前で私が知る限りの情報は、以上です。「国立国会図書館サーチ」「Google ブックス」「CiNii」「日経テレコン」などの文献検索サービスで調べた上での情報です。私の調査不足もあろうかと思うのですが、それにしてもなかなか見つかりませんでした。

2000年以前といえば、インターネットが(本格的に)普及する前です。ソーシャルメディアやブログなどはなく、私たちのような一般人が広く世に情報発信を行なったり、意見を表明したりするのは簡単ではなかった時代です。

また、現代では当事者らが「緘黙を知ってください」とよく訴えており、そうした活動が緘黙の認知度向上に一定の役割を果たしていますが、あの時代だとそうした活動を行なうことも難しいです。そういう状況だったので、当事者らは緘黙のことを知ることすらなかなかできず、当事者らの声はますます上がりにくかったのではないかと思います。

ただ、今回ご紹介した当事者らの声の中には、「緘黙」という用語を使わずに、学校などで話せない経験について語られたものもありました。こうした情報はやや見つけにくく、私がまだ見ぬ情報もあるかもしれません。特に昔は「緘黙」という用語は今ほど知られていなかったと思われ、桂あやめさんのように、「緘黙」とは知らずに緘黙のことを語った方がいらっしゃっても不思議ではありません。

どちらにしろ、当事者らがネット普及以前にも情報発信を行なっていた事実は、緘黙ホームページの開設が相次いだ2000年代初頭期にはあまり話題になっていませんでした(『負けたらあかん!』が取り上げられていたぐらいでした)。残念ながら、知られていなかったのではないかと思います。現代に直接連なる当事者らの情報発信の歴史は、おそらくはやはりネット普及により始まったのではないかというのが、私の見方です。