更新日:2023年02月22日(投稿日:2023年02月22日)

緘黙?による制約を肯定的に捉え、信条にまでしていた
「来る者は拒まず、去る者は追わず」
学校で話せなかった頃の、私の信条です。中学生あたりの頃から、このように考えるようになりました。当時の私は、自分は懐が大きい男なんだなどと自己陶酔していました。
しかし、これは自己陶酔するような問題だったのだろうかと今にして思います。というのも、私は学校で話せなかったばかりか、とにかく異常な引っ込み思案でした。このため、自分の意思で「来る者は拒まず、去る者は追わず」という態度をとっていたというよりはむしろ、そうせざるを得なかったのです。実情は「来る者は拒めず、去る者は追えず」でした。
場面緘黙症?による行動の制約を肯定的に捉え、自分の信条にまでしていたのでしょう(ただし、私は学校で話せなかったことに関して医師に相談したことはなく、このため緘黙の診断は受けていません)。それでよかったのかどうか、分かりません。
人間関係面では、ただ環境に依存するばかり
このように、学校で話せなかった頃の私は、周りの人を受け入れるしかありませんでした。「来る者」の中には、いじめ加害者もいました。「去る者」の中には、私に親しくしてくれた人もいました。そうした人たちを拒絶することもできなければ、引き留めることもできなかったのです。
私に親しくしてくれた人にしても、私としてはなんだか一方的に付き合わされている気がしました。このため、この人たちのことを友達とみなすことは、感覚的には必ずしもできないこともありました(申し訳ありませんが)。
逆に、自分から友達を主体的に作っていくといったことはできませんでした。気になる異性にアプローチすることもできませんでした。そうした状況が極まったためか、それとも人が怖かったためか、友達や異性と付き合いたいという感情すらあまり沸きませんでした。
人間関係面では、環境に依存する一方だったと言えます。分かりやすく言えば、受け身ということです。
更新日:2023年02月15日(投稿日:2023年02月15日)

緘黙を取り上げた放送
あの「仰天ニュース」の放送から、10年が経っていたことに気づきました。
2013年2月13日、日本テレビ系の番組「ザ!世界仰天ニュース」の中で、「静かな少女の秘密」と題するドキュメンタリーが放送されました。その内容は、場面緘黙症があったカースティ・ヘイズルウッドさんというイギリス在住の方のエピソードでした。
当時、日本のテレビ番組が緘黙を正面から扱うのは極めて異例でした。この頃、私は緘黙に注目して10年ほど経っていましたが、日本のテレビ番組が緘黙を正面から取り上げられるなんて、リアルタイムでは聞いたことがなかったのではないかと思います。
しかも、「仰天ニュース」は地上派の番組、ゴールデンタイムの放送です。当時はまだブログをする人が一定数いた時代でしたが、多くの緘黙関係ブログは「仰天ニュース」の話題で持ちきりでした。
放送の影響は大きく、緘黙関係ブログでは、放送中とその直後、それまでとは全く比べものにならないほどのアクセスが殺到したということを書く人が複数いたように記憶しています。また、「仰天ニュースで緘黙を知った」という話も、ネット上でちらほら見かけるようになりました
なお、番組でスポットが当たったカースティーさんは、後にミス・イングランドやミス・イギリスに輝き、そのことも話題を呼びました。
一つのターニングポイントだった可能性
この「仰天ニュース」の放送は、今にして思うと、一つのターニングポイントだった可能性があります。
一般の報道番組や「ハートネットTV」「バリバラ」など、日本のテレビ番組が緘黙をある程度コンスタントに取り上げるようになったのは、私が知る限りこの後のことです。「仰天ニュース」自身も、2017年に再び緘黙を正面から取り上げています(今度は日本在住の緘黙経験者のドキュメンタリーでした)。
また、ネット上の検索トレンドを知ることができるサイト「Googleトレンド」を見ると、「仰天ニュース」が放送された2013年2月以降、「緘黙」の検索トレンドが以前よりも高水準で推移するようになったようにも見えます。ただし、「仰天ニュース」放送前からもある程度検索トレンドは上昇傾向にあり、このあたりの評価は単純ではありません。
◇ Googleトレンド「緘黙」の検索動向
(新しいウィンドウで開く)
認知度はまだまだ
とはいえ、私は2014年1月にこんなことを書いてもいます。
地上波の全国ネットのゴールデンタイムの番組で緘黙を取り上げたにもかかわらず、このような極めて限定的な影響しかないことに、緘黙の認知度向上の難しさを感じました。
いくら人気のテレビ番組とはいえ、緘黙がたかが1回取り上げられたぐらいで、緘黙の認知度が十分な水準にまで上がるわけがありません。
そしてあれから10年経ち、緘黙がテレビ番組等で扱われることも増えましたが、緘黙が十分知れ渡ったと満足している人はいまだにほとんどいないのではないかと思います。緘黙の認知度や理解を広げることの難しさについて、改めて考えさせられもします。
更新日:2023年02月08日(投稿日:2023年02月08日)

声優のオーディションに合格し、プロダクションに所属するぐらいにまでなった--
そんな場面緘黙症経験者のことが、ある本に短く書かれてありました。国重浩一編著『ナラティヴ・セラピー・ワークショップBookⅡ:会話と外在化,再著述を深める』という本です(249-250ページ)。なお、私はこの本をGoogleブックスという書籍検索サイトで読みました。
◇ Googleブックスの同書のページ
(新しいウィンドウで開く)
ただし、声優として食べていくところまではいかず、その後、地元に戻って仕事をしているとのことです。
一般に、声優として生計を立てるのは極めて厳しいと聞いたことがあります。最近でも、一定の知名度のある声優が廃業し、ニュースになっています。ですので、この点に関しては、この方のような例は特別なことではないのではないかと思います。
ともあれ、緘黙を経験した方が声優を目指し、プロダクションに所属するまでになったことに驚きました。一口に緘黙といっても、その状態や併せ持つ問題、緘黙を経験した期間など人によって様々で、一概には言えないのですが、経過次第によってはキャリアの可能性が想像以上に多様に開かれているかもしれないと改めて考えさせられました。
なお、かんもくアコースティックライブでお馴染みのAIRIさんは、ナレーションを中心に声のお仕事をされています。この他、緘黙を経験しても、人前に出る仕事をしている方もいらっしゃいます。