更新日:2023年04月24日(投稿日:2023年04月24日)

香港で、場面緘黙症の絵本が出版されました。
書名:敏敏不說話
著者:Ms. Wincy
絵:A-Four
出版日:2023年3月10日
出版社: 紅出版(青森文化)
ページ数:24ページ
価格:125香港ドル(約2,000円)
緘黙を理解するための絵本です。こうした本は国内外に存在しますが、香港では初めてだそうです。
著者は言語聴覚士で、言語治療を行う「香港童協」の会長。また、香港の緘黙団体「香港選擇性緘默症協會」の創設者。そして、緘黙の経験者でもあります。本書は、著者の幼少期の経験を描いているそうです。
著者のInstagramアカウントによると、本書の全ての収益は、経済的に困難を抱える家庭(緘黙児者がいる家庭のうち、経済的に困難を抱える家庭のことか)を支援するサービスに使われるそうです。緘黙の本の出版で、こうした例は珍しいです。経済的に困難を抱えた家庭の多くは、治療費の支払いに苦労していたことを著者は感じていたそうです。
本書は、日本のAmazon.co.jpや楽天では、購入することができません。ただ、出版社のウェブサイトから、ごく一部を試し読みすることができます。
更新日:2023年05月30日(投稿日:2023年04月17日)

厚生労働省が実施する「患者調査」で、場面緘黙症の調査も行われていたことを知りました。それも、かなり以前から行われています。私が確認できた最も古い患者調査である平成8年の調査では、既に緘黙は調査対象に含まれています。
患者調査とは、病院および診療所を利用する患者について、その傷病の状況等の実態を明らかにし、医療行政の基礎資料を得ることを目的に行われるものです。標本調査で、調査間隔は3年ごとです。
最新の患者調査は、令和2年のものです。この令和2年の調査では、細かく分類すると、8,000以上の傷病の調査が行われています。このうち緘黙については、以下のことが明らかになっています。
推計患者数・再来患者の平均診療間隔
総数:0.1
入院:0.0
外来:0.1
外来(初診):-
外来(再来):0.1
平均診療間隔:31.9
※ 単位は千人。平均診療間隔のみ、単位は日。
緘黙の推計患者数は100人という推計です。大半は外来の再来で、平均診療間隔は31.9日です。
なお、ここで言う推計患者数とは、「調査日当日に、病院、一般診療所、歯科診療所で受療した患者の推計数」のことだそうです。もっとも、歯科診療所は、ここでは考えなくてもよいのではないかと思います。
推計退院患者数、在院期間
-
-は、計数がないことを意味します。入院患者数が0.0人と推計されていたので、退院患者数もこういう結果になったのでしょう。
総患者数
2
※ 単位は千人。
緘黙の総患者数は2,000人という推計です。推計患者数とは違い、最小単位は千人です。つまり、100人単位以下の端数までは記載されていません。なお、この調査では、単位未満は四捨五入されるそうです。
なお、ここで言う総患者数とは、ある傷病における外来患者が一定期間ごとに再来するという仮定に加え、医療施設の稼働日を考慮した調整を行うことにより、調査日現在において、継続的に医療を受けている者(調査日には医療施設で受療していない者を含む)の数を次の算式により推計したものだそうです。
総患者数=推計入院患者数+推計初診外来患者数+推計再来外来患者数×平均診療間隔×調整係数(6/7)
緘黙の推計患者数100人と、総患者数約2,000人というのは大きな違いです。おそらく前者は、調査日に医療施設で受療している患者のみ。後者は、調査日に受療していない者も含めた患者数ということではないかと私は解釈しています。
なぜこんなに少ないのか
推計患者数100人とか、総患者数約2,000人とか、少なすぎるのではないかと一見思えます。なお、他の年の患者調査と比較するとこれでも多い方で、過去には総患者数0人の年も何度もありました。
緘黙児の出現率は調査が行われてきましたが(梶正義・藤田継道両氏らによる調査など)、小学校で0.2%程度ではないかと見られています。「文部科学統計要覧(令和2年版)」によると、小学校の児童数は、令和元年で6,368,550人です。この数字で単純に計算すると、小学生だけで約13,000人の緘黙児がいるはずです。先ほどの数字とは大きな開きがあります。
なぜ患者調査だとあんなに少ない数字なのでしょうか。私は専門家ではないのでよく分からないのですが、おそらく、患者調査の対象となるような医療施設(例えば、小児科、精神科)で受療していない緘黙児者が多いからではないかと思います。見過ごされている緘黙児者がいるとか、専門家の相談は受けてはいるものの医療施設での受療は受けていない緘黙児者がいるとか、緘黙を診ることのできる医師が不足していて受療にまでは至っていない緘黙児者がいるとか、医療施設で診てもらう必要はないと判断されている緘黙児者がいるとか、そういったところが原因として考えられます。
こうして考えると、患者調査からは、緘黙児者の被支援状況の一端が垣間見えるように思えます。
更新日:2023年04月10日(投稿日:2023年04月10日)

場面緘黙症に関係する人たちが、実際に集まる--
こうした集まりは多く行われてきました。その形態や規模も様々で、団体が主催するものもあれば、ライブやカフェなどもあります。ここ数年は、新型コロナウイルスの感染拡大という社会環境の変化があり、こうした集まりの開催の在り方が問われる難しい情勢にあるのではないかと思います。
緘黙の集まりは、2000年代前半にも行われたことがあります。当時は緘黙サイトやネット上の緘黙コミュニティが発達して日が浅く、緘黙の団体も存在しなかった頃です。もしかすると、緘黙の集まりとしては最初期のものだった可能性もあります。
このときの集まりは「オフ会」と認識されていました。オフ会とは、オンライン上で知り合った人たちが現実世界(オフライン)で会うことです。
2001年の記録
私が確認できた最も古い記録は、2001年3月7日に行われたものです。日本では初めての緘黙サイトではないかと思われる「ココロのひろば」の日記に「プチ緘黙オフ」の記録がありました。
「プチ」という表現から、オフ会の規模は小さかったものと思われます。その一方で、「根は話ずきな人が多いようだ」という感想が述べられていたことから、それでもなお一定数の人が集まったとも考えられます。参加者は、当事者か経験者でしょう。
残念ながら、この記録が載っていたサイト「ココロのひろば」は閉鎖されています。「Wayback Machine」というサイトを使えば今でも読むこともできるのですが、既に閉鎖されたサイトのページにリンクを張るのは気が引けます。ここは保守的に、リンクを張るのは控えておきます。
2005年の記録
2005年10月9日に行われたオフ会の記録あり、これも古いです。参加人数は4人で、「カラオケボックスで話したり歌ったりして3時間ほど過ごした」という記録があります。
この記録は、現存する最古級の緘黙サイト「場面緘黙症専用」のブログに記載されています。このため、今でも読むことができます。なお、このブログには他にもオフ会の記録があります。
↓ その記録へのリンクです。
◇ 緘黙オフ
(新しいウィンドウで開く)
実現しなかったオフ会(2004年)
実現しなかったオフ会の記録もあります。日時は2004年4月16日、浦安駅を集合場所にしたオフ会の呼びかけが匿名掲示板「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)でありました。しかし、当日集合場所に来たのは呼びかけ人1人だけだったそうです。前後のコメントからを読むと、当時は緘黙のオフ会はほぼ行われていなかったことが窺えます。
↓ 当時の2ちゃんねる掲示板へのリンク。過激な広告が出るかもしれないので、ご注意。敢えてリンクは張らず、URLの記載のみにとどめておきます。
https://etc2.5ch.net/test/read.cgi/utu/1055726980/
ゆるやかで自発的な集まりか
以上は私が確認できた範囲の情報です。当時は緘黙関係者の交流はインターネットによるものがほとんどでしたが、ごく一部ではオフでも行われていたことが分かります。
この頃はまだ緘黙の団体がなく、オフ会はゆるやかで自発的な集まりではなかったのではないかと思います。また、3件とも保護者や専門家ではなく、当事者や経験者の集まりだったようです。当時は専門家の緘黙の関心は今よりずっと低く、こうした集まりに関わることは考えられない時代でした。
オフ会は、ネット上での関係でしかなかった人たちが実際に集まるわけですから、参加の判断には一定の慎重さが必要です。とはいえ、ネットとは違ったかたちでの交流には意義もあることでしょう。
現在もあちこちで行われている緘黙の集まりの、もしかしたら最初期のものをご紹介しました。
※ 私は4月10日を「緘黙の輪の日」と呼んでいます。長年緘黙についての動きを見てきた者として、昔のことを伝えたいです。