啓発月間の私の態度

更新日:2023年06月05日(投稿日:2023年06月05日)
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今年も、何もしなかった!

5月の場面緘黙症月間のことです。もとはと言えば私が言い出したことなのに、緘黙の理解を広めるようなことを、私は何もしませんでした。今回はこの理由についてお話ししようと思います。

5月に拘りはない


まず、私は5月の啓発月間にはそこまで拘りがないからです。これは、昔からそうです。

私が啓発月間を提唱した真の狙いは、啓発活動を戦略的に行うことの重要性を訴えることであり、啓発月間はそのための例示にすぎませんでした。しかし、私の真意は伝わらず、啓発月間のみが一人歩きしているのが現状です。

啓発月間を設けるにしても、海外と歩調を合わせて10月にしてもよかったのではないかという思いは今でもあります。

啓発活動、無理にしなくてもよい


もう一つは、かつて5月に色々活動をしたのでアイデアが尽きたとか、単に疲れたとか、そういった理由です。5月のために何かを用意するのは大変です。また、そもそもこうした活動は私の性には合わず、緘黙の理解を訴えることは、いくらかの無理をすることになります。

もともと私は、緘黙関係者だからといって、啓発月間に何らかの活動をしない人がいても全く構わないと考えていました。啓発月間中に意識的に休んで、「別に何もしなくてもいいんだよ」とさりげなくアピールした(つもりの)年もあるほどです。

これは5月に限らず、普段でもそうです。啓発活動を行う方たちは立派な活動をしているとは思うのですが、かといって、そうした活動をしない方が悪いとは全く思いません。


とはいえ、啓発月間の言い出しっぺは私です。来年あたり、いい加減何かをした方がよいような気もしないではありません。といっても、これといったアイデアは思い浮かばないのですが、あまり肩に力を入れず、軽く何かをするぐらいでもいいかもしれません。