アプリ「ブログみる」

更新日:2023年10月24日(投稿日:2023年10月24日)
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「にほんブログ村」の運営会社が、「ブログみる」という無料アプリを今年リリースしました。「好きなブログをすばやく見られるアプリ」だそうです。

にほんブログ村には、この場面緘黙症Journalブログも登録しています。そうした縁から、試しに使ってみることにしました。

↓ Google Playへのリンクです。
◇ ブログみるAndroid版
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↓ App Storeプレビューへのリンクです。
◇ ブログみるAndroid版
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このアプリには「サイト追加」という機能があります。これを使えば、ブログをキーワードやURLで検索することが可能です。私はこれで「緘黙」と検索してみました。すると、場面緘黙症関係のブログが多数ヒットしました(Android版で確認)。この場面緘黙症Journalブログもヒットします。

が!……ヒットするブログの大半は、もう何年も更新されていないものでした。中には、アクセスできないブログもありました。

しかし、これはこれで興味深いです。今となっては懐かしいブログをたくさん読むことができるからです。例えば、2006年から2013年までの長きにわたって続いた、優彩さんの「カンモク記」もあります。また、全ての記事が削除されているものの、ははさんの「学校で話せない子ども達のために-ブログ版-」もあります。

数々の当事者や経験者、保護者らが長年にわたって積み重ねてきたブログ記事は財産です。ブログの作者の皆さんは、過去のブログを今更発掘されてどう思われるか分かりませんが、私としては顧みるよい機会になりました。




海外掲示板で、緘黙の名称の議論

更新日:2023年10月17日(投稿日:2023年10月17日)
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アメリカの大手掲示板サイトRedditで先日、場面緘黙症の名称が話題になりました。英語では場面緘黙症はselective mutismと呼ぶのですが、この名称は不適切ではないか、他の名称はないかという話題です。

Redditではもともと緘黙に関する投稿が連日なされているのですが、この名称の議論は反響が大きかったです。コメント数の伸びが、他の緘黙の投稿とは違いました。

↓ 発端となった投稿。
◇ I don’t like the name “Selective” mutism.
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↓ それを受けた投稿その1。別の名称のアイデアを求めるもの。
◇ Can we PLEASE come up with a term for "selective mutism" that doesn't imply to others that WE are "selecting" it?
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↓ それを受けた投稿その2。別の名称のアイデアを求めるもの。
◇ Can we PLEASE come up with a term for "selective mutism" that doesn't imply to others that WE are "selecting" it?
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selective mutismという名称については、selective という語を使うことによって、緘黙児者が話さないことを自らの意思で選択しているという誤解を与えるとする声が以前からありました。今回のRedditでの議論も、そうした意見が発端になっています。

Redditでは、selective mutismに代わる名称のアイデアが出されています。以前よりsituational mutismの方がよいという意見を目にすることがありましたが、Redditではそれ以外にも、intermittent mutism などいくつかの案が出ています。intermittent mutismは、和訳すると「一時的緘黙」「断続的緘黙」といった意味です。

このRedditはあくまで一般の掲示板であり、ここでの議論が緘黙の英語名称の変更にどれほどの影響力があるかは疑問です。とはいえ、アメリカでは現在のselective mutismという英語名称の妥当性に疑問を持っている人が現在でも一定数いることが窺え、興味深いです。




「そのうち治る」なぜそう考える?

更新日:2023年10月10日(投稿日:2023年10月10日)
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「そのうち自然に治る」「大人になれば治る」

場面緘黙症を、このように考える人がいます。緘黙児にこれといった支援を行わず「様子を見ましょう」「見守りましょう」という方針をとろうとする人がいるのも、こうした考えが一因かもしれません。私は賛成できません。

これは日本固有の現象ではありません。英語では "grow out of it" と言うらしく、少なくとも英語圏でも同じように考える人がいるそうです。

なぜこのように考える人がいるのでしょうか。「そのうち治る」という根拠は、一体どこにあるのでしょうか。これを言語化した人をあまり見た覚えがないので、私なりに考えたことを書いてみたいと思います。もっとも、言語化した人が少ないのは、自明だからだろうとは思います。しかし、言語化することそのものに意味はあるだろうとも思うので、敢えてやってみます。

人見知りと混同


おそらく大半は、人見知りと混同しているからではないかと思います。人見知りというと、近年では大人も自分のことを人見知りだと言うこともありますが、本来は子どもに使う言葉です。

特に乳幼児の場合、時期によっては、人見知りは健全な成長の証とまで言われます。

しかし、緘黙は人見知りとは異なります。そう簡単に、自然に治ったりはしません。不安症に分類され、長期化により鬱など他の問題を続発する危険性も指摘されています。


実際にそういう子がいた


中には、実際に緘黙がそのうち治った子を見たことがある人もいるのかもしれません。しかし、緘黙児を長期にわたってたくさん見てきた人が、そういるとは思えません。例えば、かつて緘黙児を1人~数名程度受け持った教師が、同窓会や成人式で元緘黙児に会ったとか、そういうパターンでしょうか。専門家の中にも、そういう人はいるかもしれません。

「そのうち治る」といっても、「そのうち」の期間にもよりますが、確かに大人になった頃には治っている人もいます。しかし、そうでない人もいます。いわゆる後遺症を残している人もいます。また、治っていたとしても、治るまでの間に、その子がどういう経験や思いをしてきたかを想像すると、楽観的にはなれません。

「生存者バイアス」のようなことも起こっているかもしれません。緘黙がいつまで経っても治らない人は、引きこもりになったり、そこまでではなくても、同窓会に出てこなかったりすることもあるでしょう。そうした人は、いないものとみなされやすいです。その結果、緘黙が治った人ばかりが目に写ってしまいます。