宮川ひろ『きょうはいい日だね』

更新日:2023年11月28日(投稿日:2023年11月28日)
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場面緘黙症とみられる小学生を主人公とした児童書の存在を知りました。ご紹介します。

本の基本情報


書名:きょうはいい日だね
作:宮川ひろ
絵:藤田ひおこ
発行日:2005年3月
出版社:PHP研究所

宮川ひろ氏は、数多くの児童書を世に出しています。そのうちの1冊『ひいきにかんぱい!』(2013年、童心社)では、緘黙の小学生が主要人物として登場していました。

主な内容


緘黙とみられる小学1年生しゅうへいが、発語ができるまでを描いた本です。しゅうへいの担任教諭も、かつては緘黙児だったとみられます。ただ、作中に「場面緘黙症」といった専門用語は登場しません。より詳しいあらすじは、出版社やAmazon.co.jp等のウェブサイトに書かれてあります。

フィクションっぽい話です。ただ、本書はある小学校の学級の協力を得て作られたことが記されています。実話を元にした話の可能性も考えられます。

感想


しゅうへいは、図工の授業や課外活動を通じて発語に至っています。いずれも言葉を話さずにできる、身体の動きを伴った活動でした。確かに身体を動かすと、緊張は和らぎます。これは、担任教諭の秘策でした。ああいうかたちで緘黙が軽快したのは、しゅうへいがまだ小学1年生だったことも一因かもしれません。

ただ、しゅうへいには行動療法が専門的に行われたわけではありません。医師や心理師といった専門家も話には登場しません。もっとも、行動療法の過程を物語にしても、一般向けの児童書としては味気なくなるような気もします。

緘黙を経験した教諭が全国にどれほどいるか分かりませんが、そういう教諭は緘黙をよく理解していそうです。しかし、緘黙児は多様です。自分の経験に囚われすぎて、かえって目の前の緘黙児を見誤ってもよくありません。今回のお話では上手くいっています。

2005年の本なので、今の子どもの手にとられる機会は少ないかもしれず、そこは残念です。ちなみに2005年といえば、私が今のように緘黙のことをブログで書き始めた時期です。当時は、緘黙を扱った本は今以上に少なく、メディアでも取り上げられず、インターネット上で当事者、経験者、保護者らが細々と情報発信したり、交流したりした時期でしたが、その時期にこんな本が出ていたとは驚きです。

なお、本書はある方のX(旧Twitter)での投稿をきっかけに知りました。




『リエゾン』第15巻、緘黙編を収録

更新日:2023年11月23日(投稿日:2023年11月22日)
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『リエゾン-こどものこころ診療所-』第15巻が、22日に発売されました。場面緘黙症を扱ったフィクションが収録されています。

本書は、週刊漫画雑誌『モーニング』(講談社)連載中の同名の医療漫画を単行本化したものです。7月から8月にわたって連載された「場面緘黙」編の5話分(100ページ分)が、全て収録されています。このほか、「児童養護施設」編の第7話~第8話、「訪問看護」編の第1話~第2話が収録されています。

以前もお話ししましたが、今作の緘黙編では、緘黙以外にももう一つ大きなテーマが扱われています。どちらかと言うと、そちらの方がメインテーマかもしれません。

ざっと見たところ、単行本化に際して、絵やセリフなど描き改められた箇所は見つかりませんでした。ただ、巻末に参考文献が記されています。また、カバー裏表紙に、緘黙編に登場した人物がカラーで描かれています。裏表紙にはまた、本書の概要説明文の中に「場面緘黙」の文字が見えます。

[追記(2023年11月23日)]

紙の本だと、帯に「場面緘黙」の文字が大きく記されています。

◇ 書影と帯。「未来屋書店 姫路大津店」のX(旧Twitter)アカウントへのリンク。
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緘黙編はもちろん、それ以外の話もよく描かれています。どれも重い話ですが、一つの現実をしっかり描いているように思います。

最後に、緘黙を取り上げて頂けたことには改めて感謝です。








グループ活動に参加できない

更新日:2023年11月14日(投稿日:2023年11月14日)
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場面緘黙症の人は、グループ活動に含まれていない時、深い悲しみを感じる--

アルゼンチンの緘黙情報FacebookページMutismo Selectivo-Textos y videos de ayudaが11月2日、このような投稿をしました。

↓ そのFacebookページへのリンクです。翻訳機能もついています。
◇ その投稿です。
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グループ活動に含まれていない時に深い悲しみを感じるのは、なにも緘黙児者に限ったことではないでしょう。ただ、緘黙児者にはそういう場面が比較的多いということではないかと思います。

悲しみを感じるという以外にも、グループ活動に入れないことには様々な問題がありそうです。例えば、人と関わる経験を積む機会を逸したり、友人を作ったり友人と交情を深めたりする機会を逸したりします。

また、一口にグループ活動といっても、例えば児童生徒だと、学校の授業内での活動、課外活動、学校での休み時間、放課後の活動など様々で、どのグループ活動に入れないかによって問題の内容も変わってくるでしょう。例えば、授業内での活動に入れないと、学業成績に関わってくる可能性が出てきます。

しかし、緘黙児者の場合、「一人でいることが好きなのでは」という誤解を受ける場合も多そうです。このように誤解され、「一人のままでいさせてあげよう」という対応をとられると、ますますグループ活動に入っていけなくなります。

ただ、紛らわしいお話をしますが、私も学校で長期間話せない経験をしましたが、私はむしろ一人でいることを好むタイプでした。私のような緘黙児者も中にはいるかも知れません(ただし、私は話せなかったことについて医師に診てもらったことはなく、したがって緘黙の診断も受けていません)。

緘黙というと、話ができない点ばかりに注目が向かいがちですが、こうした点にも目配りがしたいです。上記Facebookページにも書かれてあるように、チャンスが与えられるとよいです。