無口で引っ込み思案な若者に、積極的に話しかけてみたら……

2017年11月11日(土曜日)

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「話しかけてもらえると嬉しい」


「たくさん話しかけて欲しい」

こうした場面緘黙症の当事者の発言を、ネット上で目にすることがあります。また、専門家が、同様のことを緘黙児者への接し方としてすすめているのを読んだこともあります。

そこで私は、とある場で出会った無口で引っ込み思案な若者たちに、積極的に話しかけたことがあります。その若者たちは緘黙というほどではなかったのですが、話しかけられると嬉しいという思いは、そう変わらないのではないかと私は考えたのです。また、それとは別に、この若者たちは孤立がちだったので、放ってはおけないという思いもありました。

彼ら彼女らと私とは年齢差があり、私の方が年上でしたが、さほど大きな年齢差はありませんでした。その場の雰囲気もあり、お互い対等にやや近い関係だったと思います。

私もかつては学校で長期間話せなかった身です(緘黙の診断は受けていません)。当時の私にも、よく話しかけてくれた人がいました。その私が話せるようになって、今度は逆の立場に立ったわけです。


「嬉しいはず」という確信や自信がないと、継続して話せない


それで話しかけてみて感じたことですが……正直なところ、難しさを感じました。相手が無口とあって、私が話しかけて喜んでくれているのか、それともありがた迷惑がっているのか、なかなか掴めなかったからです。また、何らかの反応がないと、つい不安にもなってしまいます。

これは、私が自分に自信がないことも関係しているかもしれません。果たして自分の話は相手にとって面白いのだろうか、知らず知らずのうちに相手の気分を害するような話をしていないだろうか、そもそも私は嫌われてはいないだろうか、などと考えてしまったのです。

また、中には、本当に一人でいることが好きな人もいないとも限りません。私などはそのタイプで、一人で本を読むなどして「話しかけないで欲しい」という無言のメッセージを意識的に出すことも少なくありません。

「相手は、たくさん話しかけて欲しいと思っているに違いない!私が話しかけて、相手は嬉しいと思っているに違いない!」ここまでの確信や自信がないと、継続して話しかけることはなかなかできないのではと感じました。

私としては自分の行動がぶれるのは好まないので、結局最後まで、その若者たちには積極的に話しかけました。中には喜んでくれた若者もいたのですが、私のことをどう思ってくれたのか分からないまま終わった場合の方が多いです。

少年時代、私にたくさん話しかけてくれた人やそうでなかった人たちは、どういう考えだったのでしょう。大人になって話ができるようになり、当時の人たちと似た立場を経験したことで、だいぶ遅れて、そのようなことに思いを致すようになったのでした。