「緘黙は社交不安」に異論も

更新日:2018年04月30日(投稿日:2018年02月01日)
アイキャッチ画像。

Heidi Omdal准教授の著書


今から1年ほど前、ノルウェーで新しい場面緘黙症の本が出版されました(Omdal, 2016)。著者は、アグデル大学の Heidi Omdal准教授です。Omdal准教授は1998年から緘黙について研究を続けてこられた方です。緘黙の英語論文も発表されていて、このブログでも取り上げたことがあります。

このOmdal准教授の著書については、次の動画で簡単に解説されています。英語字幕つきの動画です。Omdal准教授ご自身が出演されています。



また、次のページにも情報があります。全てノルウェー語ですが、Google翻訳などで機械翻訳すると少し読むことができます。特に英語が分かる方の場合、英訳すると日本語訳よりもずっと読みやすくなります。

↓ アグデル大学ホームページへのリンクです。
◇ Barn som ikke tør å snakke
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↓ 出版社ホームページへのリンクです。目次が PDF ファイルで公開されています。
◇ Når barnet unngår å snakke
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↓ NRK(ノルウェー放送協会)ホームページに掲載された緘黙の記事。Omdal准教授が取材を受けています。14歳の緘黙経験者への取材が、どちらかと言えばメインかな。Hanne Kristensen氏(児童心理学者)も登場。読み応えがある記事です。
◇ Jenta som blir stum
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あくまで英語字幕と機械翻訳を読んだ限りなのですが(しかも原書は手にとっていません、本当はよくない)興味深く思った点を2つ挙げます。

少数説?「緘黙は発話に対する特定恐怖症」


緘黙は社交恐怖症/社交不安症という見方が多くあるのですが、Omdal准教授は違う見方をしています。独自の研究をもとに、緘黙は発話に対する特定恐怖症であり、社交恐怖症は緘黙の結果起こったものという立場です。

特定恐怖症というのは、私は専門家ではないのでよく分からないのですが、例えばクモが怖いとか(蜘蛛恐怖症)、高いところが怖いとか(高所恐怖症)、非常に限定されたものに強い恐怖を覚える症状を言うそうです。

Omdal准教授は2008年にも、緘黙は発話に対する特定恐怖症ではないかとする研究を共著で発表していました(Omdal and Galloway, 2008)。この研究論文、私は全文読めないでいるのですが、要約文を読む限り、どうやら社交恐怖症がない緘黙児が存在することをその根拠としているようです。

そういえば、2007年に出たカナダの本の邦訳『場面緘黙児への支援』も、緘黙は特定恐怖症として説明していました(Mcholm et al., 2007)。こうした理解は多少広まっているのか、私がネットで見つけた台湾の緘黙啓発イラストも、これに基づいたものでした。

↓ その啓発イラスト。蛇、猫、犬が怖い子がいるのと同様、発話が怖い子がいるという解説です。Facebook へのリンクですが、Facebook に登録されていない方でもご覧になれます。
◇ Awareness from around the World - Taiwan
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Omdal准教授は良心的、という表現が適切かどうか分かりませんが、多くの研究者は緘黙を社交恐怖症と考えているが、自分の立場は違うというような言い方を動画でしています。自分が唱える学説が、学界でどのような位置づけなのかを示唆するような説明の仕方です。法学の世界では、通説、多数説、少数説、有力説という分け方があるそうなのですが、これに倣って言うと、Omdal准教授の説は少数説あたりになるのだろうかと思います。

緘黙は専門家によって捉え方に多少違いがあります。この学説はどういう位置づけなのか、一専門家の持論なのか、海外でも同じような考え方なのかといったことは、私たち専門家ではない外部の人間には分かりにくいです。


この子は話さないという周囲の「期待」?により、話せなくなる


Omdal准教授によると、この子は話さない子だという見方を周囲がすると、緘黙児はそれに合わせて話さなくなってしまうそうです。その周囲の見方のことを、forventninger という言葉で表現しています。ここは、Omdal准教授が力点を置いている箇所のようです。

Omdal准教授が言わんとしていることは分かります。日本でも、話さない子という周囲の認識が定着してしまうと、「喋ったら変に思われる」と意識して、ますます喋ることができなくなってしまうといった話を読むことがあります。

この forventninger という言葉ですが、Google機械翻訳は「期待」と和訳しています。とすると、この子は話さない子だという周囲の「期待」に合わせて、緘黙児がますます話せなくなるということでしょうか。ちょっとしっくりこない訳ですが、他の適当な訳も私には分かりません。

緘黙とは全く関係ない話ですが、「期待」というと、経済学部出身の私はどうしても「インフレ期待」を思い出してしまいます。将来インフレーションが起こると予想すること、またはその心理的影響のことです。「期待」(expectation)は経済の専門用語なのですが、「期待」という訳誤はおかしいという話を聞くこともあります。

forventninger も、緘黙に関わる一つの概念として専門用語化したら面白いように思います。「緘動」という用語があるように。このあたり、Omdal准教授の本の中ではどうなっているのでしょう。もっとも、和訳は「期待」がよいのかどうかは分からないのですが。