選択性無言症、学校緘黙……緘黙の様々な名称

更新日:2018年10月13日(投稿日:2018年10月13日)
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「場面緘黙」「選択性緘黙」

昔はこういう言い方しませんでした。

私が知る範囲で、「場面緘黙」が使われた最も古い例は1963年です(佐藤, 1963; 佐藤ら, 1963)。また、「選択性緘黙」は1980年です(梶田, 1980)。しかも、これらの名称が定着したのは、さらに後の話です。

では、それ以前には緘黙は何と呼ばれていたのでしょう。単に「緘黙」などと呼ばれていました。

ですが、それ以外の名称を目にすることもありました。ただ、いずれも今日ではあまり使われていません。今回は、そうした名称を調べてみました。

様々な名称


というわけで、ご紹介します。なお、私が確認できた最も古い用例を(19xx年)と記しています。

小児緘黙症/小児心因性緘黙症(1959年)


「小児緘黙症に関する研究」と題する研究が、1959年、『北関東医学』に掲載されました(内山, 1959)。論文の中では、「小児心因性緘黙症」という名称を使った箇所もあります。ですが、大半の箇所では、単に「緘黙症」「緘黙」という名称を使っています。

日本における最初期の緘黙研究で用いられたこの名称ですが、その後に広まることはありませんでした。なお、これは内山喜久雄氏による博士論文で、同氏は後に著名な学者となります。


心因性緘黙(1960年)


翌1960年、先の内山氏の研究を短くまとめたものが『児童精神医学とその近接領域』に掲載されました(内山, 1960)。ここでは、論文の概要説明で「心因性緘黙」という名称が2回使われています。先の研究で見られた「小児緘黙症」「小児心因性緘黙症」は使われていません。

この「心因性緘黙」ですが、70~80年代を中心に、用例が少し確認できます(例えば、深谷, 1975; 山本, 1988)。これに「症」をつけた「心因性緘黙症」(後述)もあります。


心因性無言症(1961年)


1961年には、「3才5ヵ月の幼児にみられた心因性無言症の1例」が『精神医学』に報告されています(正橋, 1961)。この事例が今日で言う場面緘黙症のことかどうかは分からないのですが、「心因性無言症」という名称は、60年代に緘黙の研究で採用されたことがあります(例えば、流王, 1965)。


選択性無言症(1965年)


「選択性無言症」という名称もあります。古くは、1965年の流王治郎氏による「心因性無言症児の研究」(『臨床心理』掲載)で確認できます(流王, 1965)。心因性無言症を3つのタイプに分けた研究で、そのタイプの1つに「選択性無言症」がありました。この時は、「選択性無言症」という名称は広まりませんでした。

ところが、90年代からトリイ・ヘイデン氏の本の邦訳書が発売され、その本の中で緘黙が「選択性無言症」と訳されました(例えば、 Hayden, 1998; Hayden, 2005)。この本は大層売れたようです。「選択性無言症」という名称は、ほとんどトリイ・ヘイデン氏の翻訳書から広がったものではないかと思います。

なお、「選択無言症」という名称を目にすることもあります(例えば、 Hayden, 1997)。


学校緘黙(1966年)


1966年に開かれたとみられる第7回日本児童精神医学会では、一般演題「学校緘黙児と登校拒否児の発生機制について」が記録されています(東畠ら, 1967)。

「学校緘黙」の用例は、後にも少し確認できます。1989年には『「学校かん黙」事典』という本も出ています(山本, 1989)。


心因性緘黙症(1970年)


1970年、「心因性緘黙症に関する研究」と題する研究が『教育相談研究』に掲載されました(深谷ら, 1970)。「心因性緘黙」は以前にもありましたが、今回は「症」がついています。

「心因性緘黙症」は、70年代を中心に、用例が少し確認できます(例えば、堀内, 1974)。


部分緘黙(1975年)


1975年に開かれた第13回日本精神身体医学会関東地方会で、「姉妹にみられた緘黙症の検討」と題する演題がありました(竹山ら, 1976)。その中で「部分緘黙」という名称が使われています。「部分緘黙」の用例は、わずかではありますが、あります(例えば、山本, 1988)。


コメント


「緘黙」に「症」をつけたり、「緘黙」を「無言」としたり、様々です。

「緘黙」も「無言」も、どちらも mutism の訳語で、英語で言えば同じことです。「緘黙」より「無言」の方がずっと分かりやすいのではと思うのですが、「緘黙」の方が昔から使われています。

「無言」の場合は「症」をつけて「無言症」とすることの方が多いかもしれません。「症」をつけずに、例えば「選択性無言」というのは、ちょっと見たことがありません。思うに、「症」をつけずに「選択性無言」だと、単に黙っているだけのもので、病理性があるとは伝わりにくいからかもしれません。ところが「選択性緘黙」だとそうでもないのが不思議です。

「心因性」という語がついている名称が目立ちます。一昔前までは、緘黙は心因性であるという説明を目にすることがあったのですが、最近は少なくなっています。

「学校緘黙」という名称は、緘黙が主に学校場面で現れるからという考えからでしょう。確かにその通りなのですが、緘黙は学校外で現れることもありますし、学校を卒業した後も続くことがあります。

色々な名称を見てきましたが、現代における緘黙の理解にはややそぐわないのではと思えるものもありました。昔の名称を振り返ることによって、緘黙理解の歴史が垣間見えたような気がします。