保護者の認識と、教師の認識の違い
更新日:2019年11月07日(投稿日:2019年11月07日)

緘黙児への認識に、違いが認められた
場面緘黙症の最新研究の一つです。ちょっと意外に感じる内容でした。
◇ Klein, R.L., Ruiz, E.C., Morales,K., & Stanley, P. (2019). Variations in parent and teacher ratings of internalizing, externalizing, adaptive skills, and behavioral symptoms in children with selective mutism. International Journal of Environmental Research and Public Health, 16(21), 4070.
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緘黙の子どもに対する、保護者と教師の認識を比較しています。また、両者の認識の関係を調べています。
研究への参加者は、アメリカのペンシルベニア州にある大学の、コミュニケーション障害を扱ったクリニックから集められました。緘黙の診断基準に当てはまった42人の子どもが参加しています。
調査の結果、保護者は教師よりも、自分の子どもをより深刻に評価していること等が分かりました。著者は考察の中で、保護者は教師よりも様々な場面で子どもを観察する機会があるのに対して、教師は学校場面でしか見ていないことを、この差が生じた背景として指摘しています。
教師の方が、子どもの緘黙を深刻に見ていそうに思えたが……
これが、私にはどうも不思議に思われます。子どもの緘黙が顕著に表れるのは、多くの場合学校場面です。学校場面での子どもを見る機会は、教師の方が保護者よりも圧倒的に多いです。ですので、むしろ教師の方が子どもの緘黙を深刻に捉えていそうに私には思えるのですけれども。
日本の例ですが、保護者が授業参観で学校場面の我が子を見て、初めて事の重大さに気付いたという話を何かの文献で読んだ覚えもあります(どこで読んだかは失念しました、すみません)。
一方、この研究からは、緘黙児の言語スキルと適応スキルの関係は、教師の方がより的確に認識していることも分かっています。この研究は、緘黙の診断やアセスメントに当たる専門家向けのもののようですが、私たちのような非専門家にも、保護者と教師の両方の視点が大事だということを示唆してくれるものと思います。
それにしても、例の箇所は、私にはちょっと意外でした。