柄谷行人氏の緘黙経験

更新日:2020年02月09日(投稿日:2020年02月08日)
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哲学者の柄谷行人氏が、小学校2年生の終わりまで教室でものを言わなかったそうです。また、1970年代に柄谷氏がアメリカにいた時、医者に相談したところ、それは selective mutism(場面緘黙症、選択性緘黙)であると言われたそうです。

このことは、2019年11月に刊行された『戦後思想の到達点:柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る』(NHK出版)の中で明らかにされました(27-28ページ)。このことは今まで「ひとにはほとんど話したことがない」(27ページ)とのことです。

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◇ 柄谷行人氏とは
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柄谷氏は1941年(昭和16年)8月生まれ。ということは、1949年(昭和24年)3月頃まで緘黙だった計算になります。当時の日本では緘黙の本などはもちろん出ておらず、せいぜいロバンの『異常児』という翻訳書で触れられていた程度ではないかと思います。

柄谷氏は兵庫県尼崎市のお生まれですが、小学校も尼崎市内だったのでしょうか(未確認)。当時の周囲が緘黙のことをどう捉え、どのように関わっていたかが気になります。

今回の本には selective mutism という呼称が登場しますが、実は、1970年代当時は、selective~ではなく elective~という呼称が一般的でした。もしかしたら柄谷氏は elective~と発言したのですが、出版の際、編集者が selective~と修正したのかもしれません。あるいは、柄谷氏が後に緘黙について調べ直すなどして名称変更の事実を知り、現在の呼称 selective~を選んだのかもしれません。

気になったのは、当時のアメリカの医師の「何もしなくても、そのうちなおる、と言っていました」という発言。少なくとも現在では、アメリカでは緘黙については早期発見・早期介入が必要と考えられています。それは、日本でも同じです。