「場面不活動」(selective inactivity)
更新日:2020年03月18日(投稿日:2020年03月12日)

カナダからの報告
あまり知られていませんが、興味深く感じた報告があるので、ご紹介してみます。
◇ Hill, L., and Scull, J. (1985). Elective mutism associated with selective inactivity. Journal of Communication Disorders, 18(3), 161-167.
Mark という少年の事例です。この少年は通常は普通に発話をするのですが、人からの求めに応じた質問には答えませんし、他の人の発言にも滅多に応答しません。発話へのプレッシャーを与えると、頭や手が震えてしまいます。
これは当時の言葉で elective mutism、または selective mutism と呼びます。日本語に訳すと「選択性緘黙」または「場面緘黙症」などとなります。皆さんお馴染みの用語です。
ですが、彼のこうした傾向は、非言語的行動にも及んでいます。拍手をするとか、ボールを蹴るとか、文字を書くとか、そうした行動を人から求められたり、注目を浴びたりすると、身体が震えたり、できなくなったりしてしまいます。
これを、著者は selective inactivity と呼んでいるのです。日本語に訳すと「場面不活動」または「場面不活発」といったところでしょうか(訳がこなれてない……もっといい訳ないかな)。
コメント
話せない以外の問題に、名前を与えたのが面白い
私は専門家ではないのですけれども、確かに、緘黙児者には、話せないこと以外にも特徴的な行動が見られることがあります。かんもくネットの資料でも、「学校のトイレに行きにくい。給食を食べられない。着替えが出来ない場合がある」(かんもくネット, 2006, p.1)と述べられています。こうした特徴を、この論文が「場面不活動」と名付けたのが面白いです。
緘黙児者の中には、うまく動けない人もいて、それを特に日本では「緘動」と呼びます。「場面不活動」だと、緘動も含めて、様々な非言語的行動がとりづらいことを言い表すこともできそうです(繰り返しますが、訳語はこなれていませんけれども)。
日本では、話さない以外の問題への注目が高そう
日本の緘黙関係者の間では、この話さない以外の行動への注目度が高いと感じます。緘黙を「力が発揮できない」とか「その人らしさが発揮できない」という説明を好む人が日本にちらほらいるのも(専門家含む)、こうした日本特有の傾向と無関係ではないのではないかと思います。
[お詫びと訂正(2020年3月18日)]
上の記述に誤りがありました。お詫びして訂正致します。ご指摘ありがとうございました。
(誤)2019年3月に長野県で行われた「かんもくフォーラム信州上田」
(正)2017年12月に愛知県で行われた「大人のかんもくフォーラム」
「緘黙」という状態を示す名称は、言語症状の部分を特に取り上げた呼び方であるわけですよね。そのあたりについて、「緘黙」「場面緘黙」「選択性緘黙」という名称と、感じている今の状態とのずれがあるかなと思います。つまり「話せるけども、自分はやっぱり緘黙だ」という部分があると思うのです。ではどういう風に呼んであげたらいいのかとか、その辺についてコメントがある方がいらっしゃったら教えていただきたいなと思いますが。
これに対して、多くの登壇者(解釈によっては全員)が、「緘黙」以外の名称の方がよいという立場をとっています。また、この時Twitterで、この議論について投稿している人が複数いたのですが、やはり、他の名称の方がよいという意見の方が多かったように記憶しています(記憶なので、ちょっと曖昧です)。
日本ではこのように緘黙が理解されているので、今回の論文の「場面不活動」という概念を紹介すると面白そうだと思い、そうすることにしました。
それにしても、上のかんもくフォーラムの議論などを振り返ると、日本ではいっそのこと、「場面緘黙」「場面緘黙症」という名称を捨て、「場面不活動」「場面不活動症」にしようという意見が出てきても不思議ではないと思います。このかんもくフォーラムでのやりとりは「いきなり名称変えましょうという提案をここでしたいというわけではなくて」(高木准教授)(高木, 2018, p.36)とのことでしたが、私はこの議論を読んで、あまりにも急進的な意見交換が行われていると感じて、めまいがしそうになりました。ついていけません。
こういう次第ですので、「場面不活動」というのは面白いと思いますが、それを「場面緘黙症」という名称の代わりにしたいとまでは私は思いません。緘黙に付随することがある行動特徴に名前をつけたのが面白いと考える程度です。
支持されていない
ただ、今回の論文はあまり引用されていません。「場面不活動」という言葉も普及しておらず、支持されているとは言えません。