『沈黙の闘い:もの言わぬ双子の少女の物語』
更新日:2020年10月12日(投稿日:2020年10月12日)

場面緘黙症だったという双子の本を読みました。30年前の本です。
この双子はイギリスを中心に、少なくとも英語圏ではある程度有名なようで、あちこちで取り上げられています。Wikipediaに項目があるほどです。ですが、邦訳書が出ているにもかかわらず、日本ではあまり知られていません。また、日本では緘黙の本としてはほとんど紹介されていません。そこで、今回取り上げてみたいと思います。
※ ただ、この双子の緘黙は、特異な例です。
本の基本情報
邦訳書
著者:マージョリー ウォレス(Marjorie Wallace)
訳者:島浩二、島式子
書名:沈黙の闘い-もの言わぬ双子の少女の物語
出版社:大和書房
出版日:1990年7月25日
ページ数:331
ジャンル:ノンフィクション
原書(ハードカバー)
書名:The Silent Twins
出版社:Chatto and Windus
出版日:詳しくは知りませんが、1986年出版だそうです。
言語:英語
※ 後年、マスマーケット版やペーパーバック判、電子書籍版が出ています。
著者はイギリスのジャーナリスト。受賞歴多数。1986年にはメンタルヘルスの慈善団体SANEを創立、最高責任者です。大英帝国勲章3等勲爵士(CBE、コマンダー)。
本の概要
70年代から80年代のイギリスを舞台とした、ジューン・ギボンズと、ジェニファー・ギボンズという一卵性双生児の姉妹の実話です。一卵性双生児は1つの受精卵が2つに分かれて生まれた子で、ほぼ100%同じ遺伝情報を持っています。このため、この双子は瓜二つです。
この双子は結びつきが非常に強く、お互いの愛憎は激しいものがありました。会話は双子同士以外、ほぼできません。特別学校卒業後、職には就きませんでしたが(就けない)、熱心に小説を書き、後に自費出版に至った作品もあります(ジューンが書いた『ペプシ・コーラ中毒者』という作品)。
18歳の時、窃盗や器物損壊、放火といった犯罪を繰り返し、現行犯逮捕されてしまいます(ただし、盗品はほとんど無価値)。サイコパスという診断が下され(著者は誤診と指摘)、ブロードムーア特別病院に隔離されます。
本書は、双子が残した日記や、関係者への取材をもとに書かれています。日記の内容は非常に些細な点にいたるまで驚くほど正確で、このためか、まるで著者がこの目で見たかのようなリアリティのある描写に満ちています。
感想
第三者の視点で書かれた、緘黙がテーマでない本
本書は、緘黙の当事者や経験者が書いた本ではありません。保護者や教師、専門家が書いた本でもありません。ほとんど第三者の視点から、緘黙者の半生をまとめた本です。
ですが、緘黙がテーマの本でもありません。このため、緘黙以外にも、双子であることや小説家を目指したことなど、様々な面に目が向けられています。本書の最大のテーマを挙げるとすれば、緘黙よりもむしろ、愛憎からくる双子の間の闘争にあるのではないかと思います。ここに、多くの緘黙経験者の本とは異なる特徴があります。
緘黙の本としての、本書について
原書には、双子はelective mutismであるという児童精神分析医の見立てが書かれてあります(Googleブックスで確認)。elective mutismとは、場面緘黙症の当時の英語名で、原書には20ページに3回登場します。また、21ページにはelective mutesという変化型も1回登場します。
ところが、邦訳書には場面緘黙症や選択性緘黙といった訳語が用いられず、elective mutismは「時と場合によって物を全然言わなくなる」とか、二度目以降になると「この病気」と訳されています(34ページ)。elective mutesについては、訳が略されています(36ページ)。このため、邦訳書を読むだけでは、本書に場面緘黙症のことが書かれていることが分かりにくいです。
イギリスの緘黙団体SMIRAのウェブサイトでは、緘黙に関する本の一つとして、本書が挙げられています。下記Facebookページのコメント欄によると、この双子については、SMIRA創設者のアリス・スルーキン氏(2019年他界)が相談を受けていたそうです。
↓ そのFacebookページ。アクセスすると、動画が自動再生する場合があります。
◇ その投稿へのリンク
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なお、この双子に限らず、双子の緘黙はこれまでにも報告されています。特に一卵性双生児の場合、遺伝情報がお互いほぼ同じなので、緘黙に遺伝と環境がどれほど関与しているかを考える上では、興味深くはあります。
また、もしこの双子が本当に緘黙なら、本書は、大人の緘黙の本と見ることもできるかもしれません。双子は成人期になっても十分に話せるようにはなっていないためです。
本書で描写されている緘黙について
双子はところどころで話す場面もあったり、ほぼ双子の間だけで話したり、活動的なところがあったりするなど、本当に緘黙だろうかと疑問に思うこともありました。一方で、特定の場面で話せないことには変わりはありませんし、「羞恥心が非常に強い」そうでしたし、無表情だとか、動作が緩慢なことなど、緘黙と重なるところはあります。
どちらにしろ、典型的な緘黙とはやや違う部分があるので、緘黙の理解を得るための最初の一冊としてはおすすめできません。双子は犯罪を繰り返す場面があることから、「緘黙児者は犯罪者予備軍」という誤解すら与えかねません。緘黙児者は多様だという理解の前提で読むべきだろうと思います。また、本書の緘黙の解説も、現代の緘黙の理解にはそぐいません。
双子が話せないことで不自由している場面や、孤立している場面、周囲の理解が得られない場面は、多くの緘黙児者に通じる部分もありそうです。ですが、双子の行動は極端で、全体的にあまり共感されなさそうな内容です。ただ、共感できない他者の経験も大切だろうと私は思います(現代はSNS全盛のためか、共感が重視されすぎてはいないだろうかと感じます)。緘黙児者は多様なので、なおさらそう思います。
なぜ極端な行動を?
双子はなぜ犯罪など、極端な行動をとったのでしょうか。
本書の中では、この双子は孤独で、お互い同士以外誰とも心を通わすことができないために追い詰められており、このことが犯罪に向かわせたのではないかと示唆される場面があります。また、双子一家は黒人一家であり、イギリス社会はあからなさま排斥もしないが、まったく隔てなく受け入れたわけでもなく、このことが関係していた可能性を翻訳者は指摘しています。
孤独で追い詰められた緘黙児者は少なくないだろうと思うのですが、犯罪を犯す人はほとんどいないでしょう。イギリスの黒人にしてもそうです。とはいえ、単に話せないだけでなく、心理的に追い詰められている緘黙児者はいないか、改めて考えさせられます。
結び
私のブログは緘黙がテーマなので、双子の緘黙に注目して感想を書きました。ですが、本書は緘黙をテーマとした本でないだけに、緘黙という枠ではとても収まりきれません。
双子の後日談
本書の著者が書いた、この双子の後日談があります。
双子が29歳の時(92年頃?)、二人のうち一人が自由になるため、もう一人が死ななければならないという協定が二人の間で結ばれたそうです。そして、ある日、双子の一人が謎の死を遂げたのだそうです。
↓ その後日談です。イギリスの高級紙The Guardianへのリンク。
◇ The tragedy of a double life
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