私の緘黙が人生観に与えた影響

更新日:2021年01月19日(投稿日:2021年01月19日)
アイキャッチ画像。

大きな力の前では、個人は無力と考える傾向


「求めよさらば与えられん」

この言葉、自ら行動すると報われるという解釈で引用されることがあります。

私はこの種の言葉が苦手です。同様に、「やりたいことやろう!夢は必ずかなう!」といった言葉も苦手です。そもそも、自分がやりたいことすらよく分かりません。

要するに、考え方が受け身なのです。世の中には大きな存在があって、そうした物の前では、個人の力など無力だと考える傾向があります。心理学に詳しい人からは、「統制の所在」が云々ということを言われそうです。

これには、私の生い立ちが関係していると思います。子どもの頃、家庭の事情により、自分の意思とは無関係に引っ越しを繰り返し、その度に運命が変わる経験をしました。学校で話せなくなったのも、これがきっかけです(ただし、専門家にはかからず、場面緘黙症の診断も受けていません)。大学を卒業すると、今度は就職氷河期で、私も周囲も思うに任せない経験をしました。


緘黙で受け身にならざるを得なかった経験も、影響か


ですが、きっと私が緘黙?だった経験も関係しているのだろうと思います。緘黙だと自ら行動することがかなり難しく、受け身にならざるを得ません。しかも、長年にわたってそうした経験をしています。

このような私の受け身の傾向は、近年、やや薄まりつつありました。それは私が緘黙?を克服して久しくなったことが一因だろうと思います。

この経験は、実は数年前に公開したゲーム「緘黙RPG」にも反映されています。あれは、単に緘黙児が発話場面を拡大していくゲームではありません。話せるようになっていくことにより、緘黙児が、自分の運命を主体的に切り開いていけることに気づいていく過程をも描いているのです。

ただ、新型コロナウイルスの感染拡大により、私の人生観も若干昔の方向に戻りつつあります。世の中の大きな流れには、やはり逆らえないなあと。ちょっと、ひねくれた考え方かもしれません。