親戚と話せるかどうか
更新日:2022年08月16日(投稿日:2022年08月16日)

家族とは話せるが……
家族とは話せるけれども、学校の同級生や先生とは話せない--
場面緘黙症の典型です。
それでは、親戚が相手ならどうでしょうか。緘黙児者が親戚と話せるかどうかは、あまり話題になることはありません。
「場面緘黙症専用」というウェブサイトで長年公開されている「緘黙の人への30の質問」(旧「場面緘黙症の人に30の質問」)には、「親戚やいとことは話せた?」という質問項目があります。この質問への回答を公開している方がmixiなどにたくさんいらっしゃるのですが、この回答を見る限り、話せたという方もいれば話せなかったという方もいて、様々なようです。
話せなさのレベルで言うと、人にもよるのですが、家庭の人と、学校の人の中間的な位置づけなのかもしれないと思います。
私の場合
私の場合どうだったかというと、時期によって話せたり、話せなかったりしました。私が学校で話せなくなったのは遅めで、小学4年生の頃でしたが(ただし、医師に診てもらったことはないので、緘黙の診断は受けていません)、話せなくなった当初は、親戚の家でご厄介になっていて、親戚とは自然に会話ができました。
ところが、学校で話せない時期が何年も続くと、親戚とも話せなくなりました(この頃には親戚と別居していました)。その1~2年後、久しぶりに親戚に会うと、今度は話せるようになりました。しかし、その1~2年後にはまた話せなくなり……
つまり、
親戚と話せる
↓
親戚と話せない
↓
親戚と話せる
↓
親戚と話せない
↓
………………
と、一定しませんでした。どういうことなのでしょうか。
誤解を恐れずに言うと、何というか、私にはこういう場面では話せないという「ルール」のようなものがありました。例えば、学校では話せない、学校の人とは話せないといったものです。ルールといっても、自ら意識して話さない相手を選んでいたわけではもちろんありません。
ところが、たまにしか会わない親戚が相手となるとこのルールが曖昧になってしまい、時期によって話せたり話せなかったりしたように思います。妙なものです。