治ったきっかけ
更新日:2022年12月06日(投稿日:2022年12月06日)

私の場面緘黙症?が治ったきっかけが知りたいという方がいらっしゃるかもしれません。
これについては10年ほど前に書いたことがあるのですが、そんな昔の記事、読んでいないという方も多くいらっしゃるでしょう。そこで、書き改めてみたいと思います。今になって気づいたことも含めて。
20半ばに参加したひきこもりデイケア
話せるようになった最大のきっかけは、20代半ばの頃に参加したひきこもりのデイケアではないかと思います。このデイケアは少人数で、心理のプロが立ち会い、学校と違って学業成績等で評価されない、私にとっては安心できる環境でした。そこで話すことはもちろん、思うようなことを思い切ってやって、それを受け止めてもらえたことが大きかったように思います。
私がひきこもったのは大学卒業後に進路が決まらなかったことがきっかけで、小学校から大学までは、一貫して学校に通い続けていました。ですが、学校では話せるようになる明確なきっかけは掴めませんでした。
とはいえ、長きにわたる学校生活の中で、本当に微妙な変化ではあったものの、年々話せるようにはなっていました。この下地があったからこそ、ひきこもりデイケアでの飛躍につながったのではないかと思います。
それにしても、大学卒業後に進路が決まらず、ひきこもってから、きっかけを掴んだというのは遅すぎるように思います。もっと早くきっかけを掴めていたらと悔やまれてなりません。
「治った」について
ところで、10年ほど前の記事では、20歳前後の時に自動車学校に通った頃辺りに、私の緘黙?はひとまず治ったと言えるのではないかという結論を出しています。ひきこもりデイケアの5年ほど前のことです。
とはいえ、この時でも、まだまだ家庭での私と外での私との間には極めて大きな隔たりがあり、自由に話せるようになったとはとても言えない状態でした。わずかではありますが、自分から人に話しかけることができるようになったことをもって、とりあえず治ったという結論を10年ほど前に出しています。何をもって治ったとするべきかは私にはよく分からず、ここのところはぼかしておきます。
当時は緘黙を知らなかった
なお、当時の私は緘黙を知りませんでした。この件で専門家に相談したことはなく、医師の診断も受けてはいません。このため、私は緘黙ではなかった可能性もあります。あと、ことばの教室に通うなど、特別な支援を受けていたわけでもありません。
また、当時はインターネットが普及しておらず、メディアが緘黙を取り上げることも滅多になかったので、緘黙の情報に接することができませんでした。また、緘黙のことを教えてくれる人も誰もいませんでした。とにかく情報がなかったので、なぜ自分は話せないのか、どうすれば話せるようになるのか、そもそも克服したり治したりといったことができるものなのかどうかなど、何もかも皆目見当がつきませんでした。こういう背景があったことを、付け加えておきます。
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