当事者等と研究者の関係
更新日:2023年03月30日(投稿日:2023年03月30日)

英国の自閉症研究の状況
自閉症研究者と自閉症コミュニティーの間で、緊張が高まっている--
英国の公共放送BBCが先日、そんな動画をYouTubeで公開しました。英国での話のようです。
↓ その動画です。YouTubeへのリンク。6分34秒。
◇ Tensions build between autism researchers and the autistic community - BBC Newsnight
(新しいウィンドウで開く)
動画では、Spectrum 10Kという大規模研究プロジェクトが、最近の最も明確な例の一つとして挙げられています。この研究は1万人の自閉症者のDNAサンプルを収集し、自閉症や他の健康問題が起こる要因の理解に資そうとするものです。
しかし、自閉症コミュニティーからは反発がありました。収集されたDNAサンプルにより、出生前診断が行われるリスクがあることを危惧する声も上がったそうです。自閉症がある子どもは産まないという「命の選別」につながる可能性があるという危惧でしょう(研究チームは出生前診断への利用について否定していますが、信用されていないようです)。また、自閉症コミュニティへの事前の相談も不足していたようです。
この研究プロジェクトは2021年に公表されましたが、反発を受けて、DNAサンプルの募集は3週間後には停止されています。
自閉症研究者に自閉症コミュニティーが反発するのは、今に始まったことではないようです。Scientific Americanの記事によると、今回の研究プロジェクトを主導するケンブリッジ大学のサイモン・バロン=コーエン(Simon Baron-Cohen)教授は、これより前に「超男性脳理論」(extreme male brain)を提唱、これが、自閉症者は共感性に欠けるというスティグマや誤解を広めたとして、物議をかもしていたそうです。
そもそも、自閉症研究の流れと、自閉症コミュニティーの関心事には隔たりが大きいそうです。自閉症の生物学的研究に多額の資金が投入される一方で、自閉症者をサポートするサービスに関する研究など、自閉症コミュニティーの間で関心が高い研究にはほとんど資金が投入されていない点を、BBCの動画は指摘しています。
当事者等と研究者との関係のありかた
研究者に自閉症コミュニティーが反発を重ね、停滞する研究まで出ているという状況に私は驚いています。自閉症の研究は自閉症コミュニティーの協力がなければ成り立ちにくいでしょうから、研究者なら不信感を持たれてはよくないでしょう。
また、英国の自閉症コミュニティーは、はっきり主張している印象を受けます。その主張は今のところ私には共感できますが、これが行き過ぎて自閉症研究が忌避され、適切な研究まで行われなくなるとよくないとも思います。
場面緘黙症に関わる人にとっては関係がない話……と思いきや、必ずしもそう言い切れない部分はあります。2000年代頃、日本の研究者は緘黙の研究をほとんど行わず、一部の緘黙関係者が憤りの声を上げていました。日本の研究者が緘黙に関心を持ち出したのは、この直後のことです。
学者が何に関心を持ち、研究を行おうが自由であり、自閉症コミュニティーや緘黙当事者や経験者、家族が事細かく口出ししなくてもよいだろうという思いはあります。何の研究を行うべきかは、研究者でなければ判断できないことだってあるでしょう。
その一方で、自閉症コミュニティーや緘黙当事者や経験者、家族だって物を言う資格はあろうとも思います。DNAサンプルを収集されるとか、スティグマを広められたとか、自分たちのことをまるで研究してくれないとまでなると、文句を言いたくなるのももっともなことだろうと思います。
当事者等の意見が反映されたり、経験者が研究者を志望したりといった例も
2019年度から2020年度に行われた厚生労働科学研究「吃音、トゥレット、場面緘黙の実態把握と支援のための調査研究」では、公募の際、採択条件として「吃音症、トゥレット症候群、場面緘黙等の当事者や家族、支援の実施者(専門家、行政、関係団体等)の意見が反映される体制が整備されていること」が課せられていました。この研究の目的の一つは、支援ガイドラインの作成ということもあったのでしょうが、このように、緘黙の研究に当事者や家族の意見が反映された例もあります。
最近では、緘黙を経験した人が研究者を志望する例もあります。どこまで実現するかは分からないものの、経験者らの声が緘黙の研究に反映されやすくなる方向に、もしかしたら向かっているのかもしれません。
BBCの動画を見て、研究者との関係のありかたについて考えさせられました。英国の自閉症研究の件は、どちらがどういう形で歩み寄るべきかは私には分かりませんが、両者の間でよい落としどころが見つかるとよいです。