親が高齢になった時

更新日:2023年06月19日(投稿日:2023年06月19日)
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私の緘黙は、人災か


人災だったのか--

私が場面緘黙症?になったことについて、こう考えることがあります(ただし、私は医師に診てもらったことはなく、このため緘黙の診断は受けていません)。

私が学校で話せなくなったのは、転校がきっかけでした。親と親戚の話し合いの結果、引っ越しをすることになったのです。転勤による引っ越しではなく、引っ越しは避けようと思えば避けられたはずでした。私は引っ越しに反対しましたし、引っ越し後も元の学校に戻りたいと懇願しました。しかし、親は全く聞き入れてくれませんでした。

また、私が緘黙?になった後、親からは何のフォローもサポートもありませんでした。そして、私は10年以上にわたって緘黙?に苦しむことになるのです。

あの引っ越しがなかったらと思うことは今でもありますし、親を恨む気持ちが全くないかと言えば、それは嘘になります。


年老いた親を手伝うが--


その親も、年老いました。身体機能も認知機能も衰え、自分一人だけではできないことも増えました。そんな親の手伝いをすることが、多くなってきました。

しかし、こう思うことがたまにあるのです。私が緘黙?で苦しんでいたとき、親は何もしてくれなかったじゃないか。そもそも、私が親が引っ越しを決断しなければ、私は学校で話せなくなることはなかったんじゃないか。なのに、私は親のためにここまでする必要があるのだろうかと。

今のところ、こうした感情が原因で親の手伝いをボイコットすることはありません。復讐しようとか、そんな考えもありません。親子間には愛憎様々な感情があるものだろうと思います。とはいえ、親がますます年老い、介護が必要な段階にまでなるなど状況が変われば、心境に変化が出ないとも限りません。