「そのうち治る」なぜそう考える?

更新日:2023年10月10日(投稿日:2023年10月10日)
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「そのうち自然に治る」「大人になれば治る」

場面緘黙症を、このように考える人がいます。緘黙児にこれといった支援を行わず「様子を見ましょう」「見守りましょう」という方針をとろうとする人がいるのも、こうした考えが一因かもしれません。私は賛成できません。

これは日本固有の現象ではありません。英語では "grow out of it" と言うらしく、少なくとも英語圏でも同じように考える人がいるそうです。

なぜこのように考える人がいるのでしょうか。「そのうち治る」という根拠は、一体どこにあるのでしょうか。これを言語化した人をあまり見た覚えがないので、私なりに考えたことを書いてみたいと思います。もっとも、言語化した人が少ないのは、自明だからだろうとは思います。しかし、言語化することそのものに意味はあるだろうとも思うので、敢えてやってみます。

人見知りと混同


おそらく大半は、人見知りと混同しているからではないかと思います。人見知りというと、近年では大人も自分のことを人見知りだと言うこともありますが、本来は子どもに使う言葉です。

特に乳幼児の場合、時期によっては、人見知りは健全な成長の証とまで言われます。

しかし、緘黙は人見知りとは異なります。そう簡単に、自然に治ったりはしません。不安症に分類され、長期化により鬱など他の問題を続発する危険性も指摘されています。


実際にそういう子がいた


中には、実際に緘黙がそのうち治った子を見たことがある人もいるのかもしれません。しかし、緘黙児を長期にわたってたくさん見てきた人が、そういるとは思えません。例えば、かつて緘黙児を1人~数名程度受け持った教師が、同窓会や成人式で元緘黙児に会ったとか、そういうパターンでしょうか。専門家の中にも、そういう人はいるかもしれません。

「そのうち治る」といっても、「そのうち」の期間にもよりますが、確かに大人になった頃には治っている人もいます。しかし、そうでない人もいます。いわゆる後遺症を残している人もいます。また、治っていたとしても、治るまでの間に、その子がどういう経験や思いをしてきたかを想像すると、楽観的にはなれません。

「生存者バイアス」のようなことも起こっているかもしれません。緘黙がいつまで経っても治らない人は、引きこもりになったり、そこまでではなくても、同窓会に出てこなかったりすることもあるでしょう。そうした人は、いないものとみなされやすいです。その結果、緘黙が治った人ばかりが目に写ってしまいます。