「氷山モデル」への疑問

更新日:2020年05月16日(投稿日:2019年11月19日)
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緘黙の説明で使われることがある「氷山モデル」


場面緘黙症の説明をするときに、「氷山モデル」というものが使われることがあります。

その内容は様々ですが、大体どれも話せないことを氷山の一角として、それ以外の目に見えない多くの問題が水面下に隠れていることを示しています。そうした隠れた問題が、緘黙の要因として記される場合もあります。そして、それを絵図にして表しています。

「氷山モデル」の特徴は、
(1) 話せないこと以外にも、目には見えない問題があることを強調している点
(2) 後者の方が、問題としては多くを占めていることを強調している点
にあると言えるでしょう。

私が緘黙関係で氷山モデルを目にしたのは、確か『どうして声が出ないの?』(2013年)が最初だったかと思います。ただ、この時は絵図や解説文はあるものの、「氷山モデル」という言葉は出ていません。本だと、その後、『学校における場面緘黙への対応』(2017年)でも見かけており、ここで「氷山モデル」という言葉が登場しています。

ただ、どちらの場合も、氷山モデルは引用なども何もなしに、突然登場しています。さらに、それを元に、新聞やインターネット上で氷山モデルに基づいた緘黙の説明が再生産されたこともあります。

そこで、この氷山モデルというものの背景について、補足的な説明をしてみたいと思います。私は専門家ではないのですが、私自身の勉強も兼ねて。


吃音や自閉症などで、以前から使われていた


氷山モデルは、緘黙以外にも、様々な問題行動を捉える一つの視点として使われることがあります。

例えば、ジョゼフ・シーアン (Joseph Sheehan) が吃音を説明するのに氷山の喩えを使ったことが知られます。シーアンの吃音氷山仮説は、よく1970年の著書 Stuttering: Research and Therapy が引用されるのですが、もっと古く、1958年の著作 Conflict theory of stuttering が引用されることもあります。どちらにしろ、吃音関係では50~60年ほど前にはこういう説明の仕方があったようです。

ただ、私はどちらの文献も手に取ったことがなく、シーアンの主張がどのような内容だったかは直接知ることはできません。そこで孫引きですが、例えば次のように説明されています。

↓ シーアンの吃音氷山仮説の説明があります。PDF。6.7MBで、少し重いです!
◇ 植田康頒「吃音のある児童への指導・支援の在り方」
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他に、よく見るのが自閉症の説明です。エリック・ショプラー (Eric Schopler) の氷山モデルで、1995年の著書 Parent Survival Manual: A Guide To Crisis Resolution In Autism And Related Developmental Disorders(『自閉症への親の支援―TEACCH入門』)などが引用されます。


シーアンやショプラーが出所では


氷山モデルを用いた緘黙の説明が行なわれるようになったのは、おそらくごく最近のことではないかと思います。具体的に言うと、『どうして声が出ないの?』が出版された2013年から広まったのではないかと思います。なぜならば、それ以前の文献では少なくとも私は見た記憶が思い出せませんし、学術文献検索サイトや書籍検索サイト、一般的な検索サイトで調べても、2013年以前では出てこないからです(見逃しがあったら、ごめんなさい)。

全国情緒障害教育研究会編 (1974) 『緘黙・孤立児』日本文化科学社 には「氷山の一角」という表現が登場しますが、氷山モデルとは全く違う文脈で、それがまた面白いです(9ページ)。

「しゃべらない」ということによって緘黙児は定義されるが、かれらの臨床像の全体からみれば、それは氷山の一角にすぎない。学校においてまず最も目につきやすい特徴は、身体的な緊張と、行動面の狭小化、受動性、抑制傾向などである。

つまり、緘黙児の表に見える行動は「しゃべらない」ことの他にも、たくさんあるというのです。全くその通りだと思います。他にも、トイレに行けない子や、給食が食べられない子などもいます。

氷山モデルの解説の中には、この点指摘しているものもあります(『どうして声が出ないの?』など)。ですが、氷山モデルというかたちで緘黙を見てしまうとどうしても、緘黙児の表に見えるたくさんの行動が、全体の問題のごく一部に過ぎないと矮小化されてしまいます。このためか、氷山の水上の部分を大きめに描く人もいるのですが、さすがにそれは無理があります。思うに、氷山モデルは緘黙の説明には向かないのではないでしょうか。

話がずれましたが、とにかく、吃音や自閉症などで使われてきた氷山モデルが、緘黙にも使われるようになったということではないかと思います。

↓ こちらの緘黙の説明では、シーアンの吃音氷山仮説を引用したことがはっきり書かれてあります。2ページ目をご覧ください。岡山県健康の森学園支援学校ウェブサイトへのリンク。PDF (427KB)。
◇ けんもり特別別支援教育だより
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海外ではあまり目にした覚えがない


なお、氷山モデルの視点を用いた緘黙の説明は、日本では時々目にするのですが、海外ではあまり目にした覚えはありません。各種検索サイトで調べても、やはりなかなか出てきません。国際的に見ると、緘黙の理解に氷山モデルを持ち出すのは、あまり一般的ではないのかもしれません。

私としては、「氷山モデル」という言い方がしっくりきません。モデルというより、比喩表現と言われた方がなるほどと思います。「氷山の喩え」「氷山の比喩」「氷山の隠喩(メタファー)」という言い方の方が、私としてはしっくりきます。



緘黙児は、髪型で目立つのを嫌がる?

更新日:2019年11月01日(投稿日:2019年11月01日)
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髪型を変えると注意を浴びるから、変えない?


Facebookには、場面緘黙症の公開グループ(英語)があります。その公開グループで先日、緘黙児の髪型のこだわりが話題になりました。これには保護者のコメントが28件ついています。

◇ その投稿です。
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やはり男の子よりも女の子の髪型についてのコメントが多いです。髪を下ろしたままにしているとか、親が髪を触るのを嫌がるとか、そんなコメントが目立ちます。ただ、このFacebookグループの傾向を、どこまで多くの緘黙児にまで一般化できるかは、分かりません。

私が興味深く思ったのは、ある教師(であると同時に、緘黙児の保護者)の方のコメントです。

私が教室で観察してきたことは、緘黙がある子どもたちの髪が違った風に見えると、それが子どもたちの注目を集め、このことによって、緘黙の子どもたちがあの圧倒的な不安を感じることです。ですので、彼女ら彼らは、同じ髪型を保っておきたいのです。

What I have observed in the classroom is when the children’s hair looks different it draws attention to the children and this gives them that overwhelming anxiety. So, they would rather keep the same hair style.

https://www.facebook.com/groups/smawareness/permalink/2664702030262927/?comment_id=2664903086909488

これと似た話は、『場面緘黙Q&A』にも載っています(65ページの「コラム40」)。


私の場合


私は緘黙の正式な診断は受けたことがありませんし、男なので同列に扱ってよいかどうかは分からないのですが、やはり髪型を変えることは避けていました。

ただ、私の場合、目立つこと以外にも、髪型を変えるのを嫌う理由があったように思います。それは、髪型を変えたり、髪型に凝ったりすることは自己主張につながると考えていたからです。自分の趣味嗜好や考えを、他の人に知られるのが嫌だったのです。

それで無難な髪型にしていたつもりですが、それがかえって変な髪型になっていたような気もしないでもありません。それでも髪型を変えないのが、これまた変と言えば変な話でした。



場面緘黙症の誤診

更新日:2019年08月29日(投稿日:2019年08月27日)
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「PTSDの二次障害として…選択性緘黙等を併発」


亀岡暴走事故をご存じでしょうか。2012年(平成24年)4月23日、京都府亀岡市で車が暴走し、集団登校中の小学生と保護者の列に突っ込んだ事故です。3人が死亡、7人が重軽傷を負いました。

ある児童は、この事故に遭遇したことによってPTSDになり、「PTSDの二次障害として不登校や選択性緘黙等を併発する状態にある」と診断を受けたそうです(下記リンク)。「選択性緘黙」は、場面緘黙症の正式な診断名です。

↓ 裁判所ウェブサイトへのリンク。PDFファイル(593KB)。緘黙の診断については、48ページに書かれてあります。
◇ 平成27(ワ)1308 損害賠償請求事件 平成29年10月31日 京都地方裁判所
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この診断に、私は素朴な疑問を持ちました。PTSDで話せなくなるのは、場面緘黙症とは別なのではないかと (下記リンク)。

↓ 緘黙とよく混同されるもの。PTSDも"Trauma"の項目で挙げられています。Child Mind Instituteウェブサイトへのリンク。
◇ What Isn't Selective Mutism
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最近日本で発売された本だと、『場面緘黙の子どものアセスメントと支援』に、PTSD症状の一種としての緘黙と、場面緘黙症の区別が書かれてあります(コトルバ, 2014/2019, p.25)。

ただ、私はその児童を直接見たわけではありません。また、医師でもないので、そもそも診断ができません。この児童を診た医師の言うことの方がやはり確かなのかなと思いながらも、疑問は残っている状態です。


緘黙にも誤診があるようだ


この事例がそうだと言うつもりはありませんが、緘黙にも誤診される場合があるようです。誤診の実態についてまとめた研究報告は見た覚えはないのですが、文献では誤診について軽く触れられることがあります。

イラストでわかる子どもの場面緘黙サポートガイド』では、「場面緘黙の診療経験が少ない医師を受診した場合、自閉症や広汎性発達障害(疑い含む)と診断される場合が多い傾向にあります」と指摘されています(金原・高木, 2018, p.35)。

『不安障害研究』に掲載された論文では、「限定的な発話がある場合は、『緘黙』では無いと誤診されがちだが、『一貫してできない』ならば、場面緘黙の範疇に入る」と指摘されています(久田ら, 2016, p.33)。

このような誤診が指摘されているので、亀岡暴走事故の件も、誤診の可能性をつい疑ってしまいます。亀岡暴走事故に限らず、メディアで誰それが緘黙の診断を受けていたと報じられた場合も、私はそれをどこまで信用してよいか分からなくなることがあります。

誤診されてしまうと、患者の状態の正確な理解につながりません。また、適切な治療法が選択されず、時間が空費される恐れも出てきます。合理的配慮を求めるにしても、診断は基礎となりますが、その診断が誤っていると前提が崩れてしまいます。

緘黙の誤診がはびこっているとしたら、問題です。ですが、この問題が大きく取り上げられているのを見たことはありません。先ほど引用した文献についても、さらっと書かれてある程度です。昔から、緘黙の経験者などが、専門家の中にも緘黙を理解していない人が多いと訴えることがありますが、もう少し踏み込んで「誤診」という言葉を使う人は、意外に少ないと感じます。

誤診の頻度が仮に稀であるならば、さほど問題ではありませんし、大きく取り上げられないのも分かるのですが、実態はどうなのでしょうか。